政治

成人年齢を引き下げなければならない理由は何ひとつない

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第一次安倍内閣時代の2007年4月12日、衆院憲法調査特別委で中山太郎委員長の席の周りで野党委員が抗議する中、起立して国民投票法案を可決する与党委員たち=岩下幸一郎撮影(毎日新聞社)

第一次安倍内閣時代の2007年4月12日、衆院憲法調査特別委で中山太郎委員長の席の周りで野党委員が抗議する中、起立して国民投票法案を可決する与党委員たち=岩下幸一郎撮影(毎日新聞社)

20歳ですら子ども扱いしてきたではないか

 数年前から思い出したように、話題になっては忘れられることを繰り返している議論に「成人年齢引き下げ」の問題がある。政府や有識者はおおむね賛成、しかし当の若者は気乗りしなさげ、というこの問題に、さきごろちょっとだけ「前進」があった。

 自民、公明、民主など与野党8党が、4月3日、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案を今国会中に成立させることで合意したのだ。この改正案が成立すれば、国民投票の投票権を持つ年齢が、4年後の2018年から、現在の「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられる。

 若者の自立とかのタテマエはかなぐり捨てて、なりふり構わず憲法改正に突っ走る姿が、当の若者たちにどう見えているかは想像に難くない。どう考えても「選挙権獲ったどー! 俺たちの力で改憲だ!」などと盛り上がっている若者はいそうにないし、いたとしても少数派だろう。

 この議論については、私は「識者枠」では希少な反対派だった。いっときは石原慎太郎氏も反対だったはずだが今は変節したかも知れない。それはともかく、反対する理由ははっきりしている。

 賛成する理由が何ひとつないからだ。

 賛成派の主張は、おおむね以下の二点に集約される。「引き下げで成人としての自覚が生まれる」、あるいは「欧米諸国は軒並み18歳」。最初から、ずっとこれだけ。だから反論も簡単だ。

 成人としての自覚については、逆にうかがいたい。「現代の20歳の若者たちに、そうした自覚があるのか?」と。むしろ世間は、20歳そこそこの青年など、まったくの子ども扱いしてきたではないか。毎年「荒れる若者」見たさに成人式に詰めかけるメディアも同罪である(*1=編集部注)。

 後者(欧米が!)については「だから何?」という話でしかない。当の欧米圏でも若者の未成熟ぶりや「パラサイト」化が問題になっている。日本はヤングホームレスが少ないだけまだましである(*2)。反対派を説得したいなら、「成人年齢を18歳にした国では、引き下げた結果として、こういう点が日本よりもうまくいっている」まで言わなければ話にならない。しかし残念ながら、そういう議論にはまだお目にかかったことがない。

社会が若者から成熟の機会を奪っている

 いっぽう、私が反対する理由ははっきりしている。

 これは日本に限った話ではないが、若者の実質的な成熟年齢の遅れである。30年前すでに「成人年齢30歳説」があったが、いまはどうだろう。35歳、あるいは40歳だろうか。就労と結婚をとりあえずの「成熟の条件」と考えるなら、30代半ばというあたりが妥当なところかもしれない。

 成人年齢と成熟年齢を一致させるべき、と主張したいわけではない。この二つの年齢差は小さい方が望ましい、という、ごく穏当な主張である。

 なぜ成熟年齢が上がったのか。これは単純な話だ。社会の成熟度と個人の成熟度は反比例するからだ。つまり成熟した社会においては、個人の未成熟化が必然的に起こるのである。なぜか。

 いわゆる発展途上地域では、子どもはいきなり大人になる。つまり労働に従事させられる。そこでは青年期とかモラトリアムなどは単なる贅沢品だ。日本でも戦前までは、少なくとも地方においては、それに近い状況があった。

 いっぽう成熟した社会とは、多少のハンディキャップがあってもサバイバルに支障を来さない社会のことだ。未熟さがハンデであるとしても、それが問題にならない社会。いや、むしろIT業界を始め、未熟である方が優遇される場面も多い。おまけに教育の期間(つまりモラトリアムだ)も延びる。成熟年齢が上がるのは、当然なのである。

 もう少し狭い話をすると、ここには社会的な要因も絡んでくる。

 成熟を促すのは、基本的に「就労」と「家庭を持つこと」だ。しかし、こちらについては、むしろ社会の側が、若者たちからその機会を奪っているとしか言いようがない。少なくとも、ニートやワーキングプア、あるいはひきこもりの若者が急増した背景には、間違いなく社会の側の構造的な問題がある。

 たとえば、中高年雇用者の既得権が若者の就業の機会を奪っている現実が、すでに指摘されている。あるいは労働者保護の視点を欠いた労働者派遣法の不備が放置されたままであることも無視できない。

 こうした状況がもたらす社会参加への不安や恐怖は、若者の自覚をうながすどころか、むしろ非婚化やひきこもりの遷延化をもたらすだろう。若者が自分勝手に成熟をやめたのではない。社会の側が若者から成熟の機会を奪っているのだ。

 この現状を変えないままで、成人年齢だけを引き下げたら何が起こるか。

 かつてとは違い、現代の親世代には余裕がない。ニートになってもひきこもっても抱え込んで支えていこう、という奇特な親は徐々に減少している。むしろ余裕をなくした一部の親たちは、「成人したら扶養義務はないから」とばかりに、我が子を追い出しにかかる可能性すらある(ちなみに法的には、成人して以後も扶養義務はある)。

 露骨に「出て行け」と言わなくても、邪魔者扱いされて居場所を奪われた子どもは家から出るしかなくなる。「18歳成人」が、こうした「子捨て」の口実にならないという保障はない。もし私の懸念が当たっていれば、将来的には若いホームレスが激増するはずである。というか、すでに増加傾向が指摘されている(*3)。

欧米の真似をするなら若者政策も欧米並みに

 よって私からの提案は以下の通り。成人年齢は現行のまま、もしくは逆に、25歳まで引き上げる。もしどうしても“欧米並みに”18歳にするというのなら、若者政策も欧米並みにしてほしい。

 先進諸国中、日本は若者政策を専門とする省庁が存在しない唯一の国である。若者対策は厚労省と文科省、内閣府が場当たり的に――「事件」や「事故」が起こって世論が喚起されるごとに――分担してきた。

 しかし、これだけ「若者の弱者化」が叫ばれる昨今、もはやそうしたアドホックな(その場しのぎの)政策ではなく、計画性と一貫性のある若者対策が講じられるべきである。これからの若者対策は、いわば「点」から「線」へ、さらに「面」として展開されるべきなのだ。

 このようなサポート体制を十分に整備した上で、成人年齢の引き下げに踏み切るというのであれば、もちろん私とて異論はない。むしろ積極的に賛成してもいい。

 ともあれ「成熟」のような大きな問題に、小手先の改正で変化が起こせるわけがない。本当に成熟が問題と思うなら、成熟を促すような社会環境作りをするべきなのである。

【筆者が推薦する基本図書】

●宮本みち子『若者が無縁化する――仕事・福祉・コミュニティでつなぐ』(ちくま新書、2012年)

●斎藤環『ひきこもりから見た未来―SIGN OF THE TIMES 2005-2010』(毎日新聞社、2010年)

●阿部彩『弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂』(講談社現代新書、2011年)

【編集部注】

*1 荒れる成人式

成人式での騒動が報道されるようになったのは2001年から。高松市では市長にクラッカーが投げつけられ、新成人5人が逮捕された。高知市では橋本大二郎県知事(当時)の祝辞中、「帰れ」コールをした新成人らを知事が「出て行け」と一喝し、会場から喝采を浴びたこともあった。沖縄では飲酒・暴走など、成人式で毎年のように逮捕者を出すため、“1月の風物詩”扱いされたりした

*2 ヤングホームレス

厚生労働省によれば、日本のホームレスはここ数年減り続けており、約8200人(2013年)。そのうち35歳未満は1%台とされる。日本で若いホームレスが目立たないのは、職のない若者を親が抱え込んでいるからで、ひきこもりが69万人(自室からほとんど出ない狭義の「ひきこもり」に限れば23万人余り。内閣府「2013年版 子供・若者白書」)もいるということは、潜在的ホームレスがそれだけ存在するということでもある。親に経済力があるうちは、その存在は表面化しない。若者の就業機会が少ない地方ほどこの傾向は強まる。秋田県藤里町の社会福祉協議会がおこなった地元の実態調査では、人口3800人のうち、じつに100人以上がひきこもっていることが明らかになった。

*3 日本でも若いホームレスが増加

2008年のリーマンショック前後から、日本ではネットカフェ難民が社会問題化した。ホームレスを支援するNPO法人ビッグイシュー基金では、このとき初めて40歳未満のホームレスの聞き取り調査をおこない、2010年に最初の「若者ホームレス白書」を発行した。若者は路上生活者と見られるのを嫌い、ネットカフェで寝泊りする金がなくなるとファーストフード店、それもだめならコンビニをハシゴし、最後の最後まで路上に現れない。このため若者ホームレスは可視化されにくいという特徴がある。その意味で、5000人を超えるとされるネットカフェ難民は、事実上ホームレスといってよい。一方、欧米では反対に、若者が経済的困難から親と同居する傾向が強くなっている。イギリスの国家統計局の調査によれば、親と同居する20歳から34歳までの若者は1996年から2013年の間に25%増え、330万人に達しているという。