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【基礎知識】監禁・虐待事件に見る「人が逃げられなくなる理由」

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尼崎連続変死事件の舞台となった角田美代子被告のマンションのバルコニーに設置された小屋周辺にシートを張る捜査員ら。この小屋が監禁場所になった(2012年10月26日、後藤由耶撮影)(毎日新聞社)

尼崎連続変死事件の舞台となった角田美代子被告のマンションのバルコニーに設置された小屋周辺にシートを張る捜査員ら。この小屋が監禁場所になった(2012年10月26日、後藤由耶撮影)(毎日新聞社)

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逃げるのは簡単ではない

 2014年8月15日、愛媛県伊予市の市営住宅の押し入れから、17歳の少女の遺体が見つかった。事件の調べが進むなかで、その部屋に住む36歳の女が、複数の少年たちを自宅に入り浸らせ、少女を暴力で服従させていた事実が明らかになってきた。少女は家出中の身で、家事などを強要されていたが、身体を拘束されていたわけではなかった。少女が暴力を振るわれる場面は、近所の住民たちに
たびたび目撃されていた。警察もそれを把握していた。にもかかわらず、なぜ少女は逃げることをせずに殺されてしまったのか。

 こうした事件が起きるたびに、脳裏をよぎるのが「殺される前に、なぜ逃げなかったのか」という疑問だ。しかし現実には、多くの監禁・虐待事件が「逃げるのは簡単ではない」という事実を示している。

 たとえば、2013年2月に堺市で起きた傷害致死・死体遺棄事件だ。当時69歳の北川睦子さんが、岩本孝子(63)・池田和恵(57)両被告に殴る蹴るの暴行を受けて死亡、遺体はごみバケツにコンクリート詰めにされ、奈良県の山中に遺棄された。3人が出会ったのは、事件をさかのぼる3年ほど前、北川さんが夫を亡くした頃である。当初、3人は仲のよい飲み仲間だったが、あるとき北川さんがふざけて岩本被告の頭を叩いたのをきっかけに、関係が一変した。

「後遺症が出た。慰謝料を払え」

 北川さんは岩本被告に恫喝されるようになった。土下座させられては殴られ、ときには猫の糞を食べさせられたこともあった。年金が振り込まれる預金通帳とキャッシュカードも取りあげられた。

 北川さんは岩本・池田両被告のいいなりになった。住民の通報を受けて警察官が訪れ、腫れあがった顔を指摘すると、「自分で転んだ」と言い訳した。見かねた知人が救いの手を差し伸べても「岩本さんに怒られる」と断っていた。助かるチャンスは何度もあったが、被害者自身がそれを潰していたのである。

 共犯の池田被告も、じつは岩本被告の暴力と恐喝の被害者だった。北川さんの不審な“失踪”がマスコミで取り沙汰されるようになった2013年5月頃、池田被告はテレビ局の取材に対して、過去の暴行が岩本被告の命令によるものだったことを告白、しきりに「怖いねん」「岩本のイの字も出すなと脅された」と、報復を恐れていることを明らかにした。岩本被告は、この告白を知るや、池田被告の自宅に押しかけ、テレビカメラの前で「池田! 開けやコラー!」と玄関のドアを蹴るなどしている。暴力による支配の構図を垣間見せた瞬間だった。

 結局、6月には死体遺棄にかかわった男たちを含めて4人が逮捕され、事件の全容が解明されることになった。2014年3月、大阪地裁堺支部でおこなわれた裁判員裁判で、主犯の岩本被告には懲役12年の判決が出た。

尼崎連続変死事件における脅迫の手口

 暴力による支配が1対1の関係で起きるケース――典型的なのは、DVのような一方的な暴力による支配と服従の関係である。だが、DV以上に「逃げる」ことが容易でないのは、関係する人間が複数いるケースだ。加害者たちの間には、上下の共犯関係が成立し、容易に抜けられなくなるのである。下位の者は、自分よりさらに下位の者を虐待することによって自分への暴力を避けようとする。前掲の堺事件の池田被告がそれに当たる。ピラミッドの頂点に立つ人間にとって、都合のいいシステムがつくられるのである。

 ピラミッドの頂点に立つのは、他人の心理を読み、操ることに長けた人物だ。そして支配者は、このシステムをさらに強固にしていく。2011年11月に発覚した尼崎連続変死事件の主犯、角田美代子(12年12月に拘置所で自殺)はその一人といってよい。

 角田美代子は尼崎市の複雑な家庭に生まれた。その反動だったか、自分のまわりに血縁のない人間を集め、自らが君臨する“ファミリー”を築いた。そして、金のありそうな家族を標的にしては、脅迫し金銭を搾り取った。被害家族の中で自分に従う者、気に入った者は自分のファミリーに取り込む一方、従わない者、邪魔になった者に対しては、容赦なく命を奪った。

 たとえば、初期の標的となった高松市の谷本家は、父母と娘2人の4人家族。母の実家が尼崎にあったというだけで、次のような悲劇に見舞われることになった。

 2003年初め、尼崎の実家から、母の兄の元妻の連れ子(谷本家の娘にとっては義理の元従兄弟)を預かってほしいといわれ、送り込まれてきたのが、じつは角田美代子の“手下”の粗暴な男だった。この男は何かと難癖をつけては家族に暴力を振るい、金をせびった。元親戚とはいえ、困惑した谷本家は、男を尼崎に送り返した。すると今度は、角田美代子がヤクザふうの男たちを引き連れて高松に乗り込んできた。そして一家を暴力で支配し、一族から金を搾り取った。父母を全裸にして近所に金策に走らせることもあった。

 この両親は娘たちを守れない――情けない両親の姿を見せつけて、娘を自分のほうに取り込むのが角田美代子の狙いの一つだった。娘たちは、いわれるままに親を殴った。

 ファミリーはイナゴの群れのように谷本一族を喰いつくし、谷本家の2人の娘と伯父(父の兄)を連れて尼崎に戻っていった。当時高校生だった次女はのちに角田美代子の次男と結婚、ファミリーの重鎮におさまる。しかし長女と伯父、尼崎にいた祖母は無残に殺され、遺棄された。母は角田から逃げようとしたが、結局、病院で死亡することになる。唯一、警察にも駆け込まず、尼崎に潜伏していた父だけが無事だった。

家族で殺し合う――北九州連続監禁殺人事件

 尼崎連続変死事件の角田美代子は、逮捕後、ファミリーの面々が次々と殺人や死体遺棄を自供したのを知って、抑うつ的になり、拘置所で長袖のTシャツの袖を首に巻き、自ら締めて窒息死するという特異な方法で自殺した。企みの敗北を自覚しての死だった。

 一方、似たような事件を起こしながら、逮捕後もまったく敗北を認めなかった男がいる。北九州連続監禁殺人事件の主犯、松永太死刑囚だ。日本の犯罪史上、まれにみる詐欺師といってよい。

 2002年3月、17歳の少女が監禁先から脱出、祖父母のもとに逃げ込んで警察に通報。悲惨な事件が発覚した。

 少女は10歳のとき、松永とその内妻、緒方純子受刑者のもとに預けられ、以来、7年近く、何人もの人間が2人に監禁され、殺され、遺体が解体されていくのを目撃(最初の犠牲者は、不動産業者だった彼女の父親だった)、ときには殺人や死体処理を手伝わされた。最後は、このままでは自分も殺されると脱走したが、見つかって引き戻された。その制裁として松永にペンチを渡され、「自分の足の親指の爪をはがせ」と命じられ、泣きながらそれを実行したという。

 1997年、松永が金づるとして選んだのは、内妻の実家、緒方家である。実家は一族の本家筋にあたり、父親は農協関連団体の役員を務める地元の名士だった。松永は「おたくの娘は不動産業者を殺して死体を遺棄した。自由にさせるとまた凶行を働く。自分が面倒をみてやるから、それなりの費用を払え」と要求した。内妻の緒方純子受刑者には、以前から実家や知人に電話をかけさせ、相手を罵倒するよう仕向けていた。実家は、まじめだった娘がとんでもない厄介者になったと思い込み、娘の犯罪を公にしないために松永を頼った。

 内妻の純子受刑者は、じつは松永のDVの被害者であった。何度も逃げようとして捕まっては暴力を振るわれていた。しかも、実家や知人を罵倒するようなことを松永にさせられていたため、頼るところはすでになかった。

 やがて、松永に貢ぐために巨額の借金を背負って返済のめども立たなくなった緒方家は、父、母、同居していた妹夫婦、その2人の子供ともども、松永のいうがままにマンションの一室で松永たちと同居するようになる。待っていたのは、監禁と虐待だった。

 そしてもはや一銭も貢ぐことができなくなると、半年ほどかけて一人ずつ殺されていった。遺体は解体され、内臓はミキサーにかけてトイレに、その他は鍋で煮て海に流されたという。

 主犯の松永は、犯行に際して指示をほとんど出さなかった。「口のきき方が悪い」とか「態度が悪い」といったささいな理由で誰か一人に難癖をつけ、「どうすべきか家族で話し合え」と下駄を預ける。

 激しい暴力や食事制限、排泄制限などによって松永の奴隷と化していた彼らは、「殺せということだろう」と松永の意図を察し、忠実にそれを実行した。そうしなければ、自分に対するさらにひどい虐待が待っているからである。殺害・解体の主導的役割を果たしたのは緒方純子受刑者だった。松永は、自らは手を汚さず、身内同士で殺し合いをするように仕向けたのである。

服従を強いる「通電」という拷問

 松永はたぐいまれな話術の持ち主だった。初対面の人間には快活で善良なキャラクターを装った。人に気持ちよくしゃべらせ、不満や他人への悪口が出たら記憶しておき、ここぞというとき、「あいつはお前のことをこう言っていたぞ」というように、人間関係を操る道具に使った。緒方家は、そうした分断工作を仕掛けられた。互いが監視し合うという人間関係がつくられたのである。松永は逆らう者は容赦なく虐待したから、誰もが松永の歓心を買おうと努めた。

 松永の人心操作術と両輪をなしていたのが暴力による支配――よく使われたのが、彼らが「通電」と呼んだ虐待である。監禁された被害者たちは、むき出しにした電気コードの先端に金属製のクリップをつけたものを使って、手足や胸、顔、陰部などに繰り返し通電された。彼らはしだいに思考能力が衰え、正気を失っていった。緒方家の父親が死亡したのも、娘である純子受刑者が過剰に通電したことによるショック死だった。

 1960年代に米イェール大学で、人に電気ショックを与える心理実験がおこなわれたことがある。通称「アイヒマン実験」と呼ばれるこの実験は、「電撃を命じる科学者」「スイッチを入れる人」「電撃を受ける人」の3人一組でおこなわれた。被験者は「スイッチを入れる人」で、一般から募集された。

「電撃を受ける人」が簡単な設問に対して間違った答えをいうたびに、被験者は電撃のスイッチを押さなければならない。しかも、電撃のレベルは15ボルトから始まり、押すたびに上がっていく。レベルが上がれば、「電撃を受ける人」の苦痛も増す。最大は450ボルトで、死を招くレベルである。他人に通電を命じられた人が、どこまでその命令に忠実に従うかを調べるというのが、この実験の目的なのである(じつは「電撃を受ける人」は俳優が演じており、実際には通電されていないが、被験者はそれを知らされていない)。

 これとは別に、心理学者や学生、一般の人々を対象に、「あなたが被験者だったら、どのくらいのレベルでスイッチが押せなくなると思うか」という問いに答えるアンケートをとった。多くの人が150ボルトあたりで押せなくなり、実験の中断を申し出るだろうと回答しているのだが、実験の結果は意外なものだった。「電撃を受ける人」が悲鳴をあげたり、気絶したりする姿を見ているにもかかわらず、最大の450ボルトになるまでスイッチを押しつづけた人が30%もいたのである。相手の姿が見えず、声しか聞こえないようにした実験では、最大ボルトまでつづけた人が60%を超えた(スタンレー・ミルグラム『服従の心理』河出書房新社)。

 原因は「電撃を命じる科学者」の台詞だった。被験者がためらいを示すと、「続けてもらわないと実験が成り立ちません」「絶対につづけてください」などと促すのである。被験者は、ためらいながらもそれに従った。「電撃を受ける人」の生命よりも権威者の命令のほうを優先したのである。

 当時、ホロコーストの責任者の一人だったナチスのアイヒマンが逃亡先の南米で逮捕されて裁判にかけられ、ユダヤ人虐殺がはたして“異常者”たちによる犯罪だったのか否かが論争になっていた。イェール大学のこの実験が「アイヒマン実験」と呼ばれたのも、この実験結果が、アイヒマンは職務に忠実な公務員にすぎず、人は誰でも「権威者」の命令に従って非人道的な行為に手を染める可能性をもっている例証の一つとして使われたからである。

 北九州連続監禁殺人事件でいえば、松永こそこの「権威者」だった。緒方純子受刑者は、いや、監禁されていた者全員が松永の命令に忠実であろうとした。松永が「死んでほしい」と示唆する人間は殺さねばならないのだった。それどころか、これから殺されるであろうことがわかっている当人でさえ逆らおうとしなかった。緒方家最後の死者となった妹夫婦の長女は、電気コードで絞殺される際、台所の床に静かに横たわり、コードを首の下に通しやすくするため自ら頭を持ち上げたという。彼女はわずか10歳だった。

殺さなければ、自分が殺される

 死亡者が7人に及ぶ凄惨な事件が終わり、松永・緒方両被告の裁判が福岡地裁小倉支部で始まったのは2005年9月。松永は得意の弁舌で、緒方の証言とはまったく違う事件の筋書きを語った。すべては緒方のやったことで、「自分は巻き込まれて大変迷惑している」というストーリーである。遺体の解体・遺棄の方法については、「自分がプロデュースした」と認め、「私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読んで応用し、つくだ煮を作る要領でやりました」と、法廷で笑いをとろうとまでしたのである。

 一審は両被告とも死刑。だが二審では、緒方が20年にわたるDVによって松永の支配下にあったことが認められ、無期懲役に減刑、最高裁で確定した。松永のほうは弁舌の甲斐なく死刑が確定した。

 精神科医の岩波明氏は、松永を「間違いなくサイコパス」としたうえで、監禁された緒方家の人々が「情動麻痺」と呼ばれる状態に陥り、通常の感情や、自分が生きているという感覚が失われていたと指摘する。

「情動麻痺が起こりやすいケースは、残忍な手段による『暴力』や『死』の目撃者や被害者となった時である。(中略)家族の無残な『死』を演出することによって、松永は緒方家の人々を精神的に支配し
た。彼らは精神的にも肉体的にも松永の奴隷となった」(豊田正義『消された一家』所収解説)

 自分も加害者にならなければ逆に殺されてしまうというのは、連合赤軍事件において主犯の永田洋子がつくりあげた状況によく似ている、というのが岩波氏の分析である。

 こうした犯罪の歴史をさかのぼってみると、同様の状況はいつの時代にも、どの場所にも存在した。先述の尼崎連続変死事件もそうだし、少年事件史に残る凶悪事件といわれた1989年の女子高生コンクリート詰め殺人事件も同じである。

 一人の少女が不良少年たちに誘拐されて41日間監禁され、虐待死したこの事件では、少年たちの間に、「やらなければ、自分がやられる」という緊張関係があったことが明らかになっている。この事件は、監禁場所となった家に少年の両親が同居していたこともあり、「逃げられなかったはずはない」という“少女の自己責任”論が浮上して論争にもなった。しかし、物理的な死の前に「精神の死」が訪れるのが監禁・虐待事件の通例である。人が逃げられなくなるのは逃げ道がないからではない。精神の死こそが本当の理由なのである。

*上記の事件について詳細を知るには

●一橋文哉『モンスター――尼崎連続殺人事件の真実』(講談社)

●小野一光『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』(太田出版)

●佐木隆三『なぜ家族は殺し合ったのか』(青春出版社)

●豊田正義『消された一家――北九州・連続監禁殺人事件』