日本の実力

犯罪は少ないのに治安の悪化を体感する理由

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「水と安全はタダ」な日本

 2020年夏季五輪の開催都市に東京が選ばれたとき、多くの海外メディアは「不確実性の時代の安全と治安の良さ」(「ウォールストリート・ジャーナル」2013年9月7日付)が決め手になったと報じた。

 東日本大震災の際には被災地で略奪も起きず、秩序が保たれていたという日本人の美質も、評価の背景にあった。宮城県警の発表によれば、震災から2週間ほどの間に宮城県内で290件の窃盗被害があり、被害総額は1億円に上っていたから、実際は“火事場泥棒”がなかったわけではない。しかし、気仙沼信用金庫の壊れた金庫から4000万円が持ち去られた一件を除けば、その多くは空き店舗から生活物資を盗んだり、車からガソリンを抜き取ったりする、生き抜くための必要に迫られた犯罪だ。2005年にハリケーン・カトリーナが米ニューオーリンズを襲ったときには、警官まで略奪に加担するという無法地帯が現出した。

 かつて評論家の山本七平は、ユダヤ人イザヤ・ベンダサン名で発表した著作『日本人とユダヤ人』(1970年)で、「日本人は水と安全はタダだと思っている」と喝破したが、日本の治安の良さは、かなり前から「社会の工業化、産業化、都市化は犯罪の増加をもたらす」という犯罪学の常識に反するとして、海外の研究者に注目されてきた。1960年から80年にかけて、米英独ほか主要先進国で犯罪が2倍から3倍近く増加したのに対し、日本ではわずか1割強の増加に留まっていたからである。

 直近の殺人発生率(人口10万人当たりの殺人件数)の主要国比較(図1)を見ても、日本の発生率の低さが際立っているのがわかる。

 英「エコノミスト」誌が毎年発表している「世界平和度指数」では、日本は8位(1位はアイスランド)。これは、殺人件数などとともに、テロや紛争の起きやすさなどを含めた総合的な評価である。テロや紛争の危険性はその国の政治体制や国際的立場によって左右されるから、政治や国際関係が安定していれば低くなるのは当然だ。しかし、犯罪はそうはいかない。なぜ日本は世界から注目されるほど犯罪の少ない国になったのか、そして、その傾向は今後変化するのか――以下、少し詳しく見ていこう。

図1 殺人発生率・検挙率の国際比較

図1 殺人発生率・検挙率の国際比較

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治安はじつは悪化していない

 2012年に内閣府が行った「治安に関する世論調査」では、過去10年間で日本の治安が「悪くなった」と思う人が81.1%に上った。前回06年の調査から3.2ポイント減ったものの、依然として高い水準であ
り、その理由としては「地域社会の連帯意識が希薄となったから」が54.9%と最も多く、次いで「景気が悪くなったから」が47.4%で、前回に比べて17.7ポイントも増えた。

「日本の治安は悪化している」というイメージが広がったのは、1997年に神戸で連続児童殺傷事件が発生し、少年犯罪の低年齢化や凶悪化に注目が集まったあたりからだ。そして2000年以降、暴力犯罪の認知件数が急激に増加するとともに、長らく80%以上あった検挙率が急激に低下したことをメディアが盛んに取り上げるようになって一般化する。2002年には、一般刑法犯(刑法犯全体から自動車運転過失致死傷等を除いたもの)の認知件数が戦後最多の約285万件を記録した。この社会情勢を踏まえて、2003年9月、当時の小泉内閣が全閣僚を構成員とする犯罪対策閣僚会議を設置。11月の衆院選では主要政党のほとんどが、マニフェストで犯罪・治安対策を取り上げた。

 ところが現実には、前述の世論調査の結果に現れている「体感治安」の悪さとは逆に、2002年以降、一般刑法犯の認知件数は減少を続ける(図2)。殺人の認知件数にいたっては2013年に戦後初めて1000件を切っているのである。検挙率も、殺人93.5%、強姦88%と、凶悪犯罪では依然として高い。

 ではなぜ、治安が悪化しているというイメージが生まれたのか。

 まず2000年以降、犯罪の認知件数は増えたが、犯罪自体が増えたのではないという事実を押さえる必要があろう。認知件数の一時的増大は、1999年に発生した桶川ストーカー殺人事件において警察の不手際が批判を浴びた結果、ストーカー被害やDVなど男女関係に端を発する事件について、警察が積極的に対応する方針に転換したからである。

 検挙率の低下にも同様のカラクリがある。警察安全相談(困りごと相談)の件数が2000年以降に急上昇しているのは、警察の相談体制が強化されたために、それまで被害者が泣き寝入りしていたような犯罪が掘り起こされ、認知件数を引き上げたのだ。そしてその一方で、認知した事案に対応しきれなくなって検挙率が下がったということなのである。さらに、一般刑法犯の80%以上を占める窃盗事件について、マンパワー不足から余罪調査が十分にできなくなったこと、また窃盗の20%を占める自転車泥棒のような軽微な犯罪で検挙実績を積み上げるより、より重大な犯罪の捜査に人的資源を振り向けるようになったことも、検挙率の低下につながっているといえる。

 そもそも、治安悪化というイメージ自体に根拠がないという指摘もある。龍谷大学法科大学院の浜井浩一教授が2006年に行った調査では、「2年前と比較して、自分が住んでいる地域と日本全体で犯罪が増えていると思うか」と聞いたところ、「とても増えた」と回答した者のうち、自分の住んでいる地域では3.8%だったのに対し、日本全体では49.8%だった。つまり、多くの人が「自分の周りでは治安がそれほど悪化していないが、日本のどこかでは治安が悪化している」と感じていることをあらわしている(浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』光文社新書)。

 この背景について浜井氏は、現実に起きている殺人事件の認知件数とは無関係に、マスメディアで「凶悪」というキーワードとともに殺人が報じられる件数が増えてきていること、さらにインターネットの普及により日本中で発生した犯罪情報が瞬時に広まることを挙げている。後者についていえば、2006年当時に比べてSNSの利用者が激増している現在、この傾向がいっそう強まっていて不思議はない。

図2 日本の刑法犯認知件数・検挙率の推移

図2 日本の刑法犯認知件数・検挙率の推移

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凶悪犯罪を未然に防いでいる日本のシステムとは

 日本における刑事裁判の有罪率は99.9%である。これは先進国中でも突出して高い(米英など陪審制を採っている国は7~8割、西ヨーロッパ諸国では93~97%程度)。
 しかし、日本では、これら有罪のうち、執行猶予がつかず身体を拘束される、いわゆる実刑となる割合が6%程度と低いことは、意外と知られていない。重大な犯罪でなく、前科もないような場合は、捜査から訴追、公判までの刑事手続の各段階において、微罪処分(たとえば万引き事件で盗品を返還することにより、警察官の説諭を受けるだけで送検されないなど。前科はつかないが警察に記録は残る)、起訴猶予、執行猶予など正規の刑事司法手続きから外す「ダイバージョン」が活用されているからだ。実際、2009 年に警察に検挙された被疑者のうち、32%は微罪処分、検察官に送致された者も52%が起訴猶予、訴追され有罪となった被告人も 、60%が執行猶予の判決を受けている。日本がダイバージョンを多用する大きな理由は、実刑を受けることで「ムショ帰り」の烙印が押され、出所後の社会復帰が困難となり、再び犯罪に手を染めるような事態を防止しようという点にある。

 したがって、非行少年の扱いにおいては、刑事処分が行われる率はさらに少ない。非行少年事件は、原則すべて家庭裁判所に送致しなければならないことになっているが、家裁で決定するのは、少年院送致や保護観察処分といった教育を目的とした保護処分のみであって、刑罰は科さない。刑事処分に相当するとして「検察への逆送」が行われる割合は0.2%に過ぎない。

 日本とヨーロッパ諸国で少年の犯罪を比べると、刑法犯で検挙される者のうち、少年の占める割合が多いのは日本のほうだ。ただし、凶悪犯はヨーロッパより少なく、2009年の統計によれば、日本の少年事件で最も多い罪は窃盗(60.7%)、2番目に多いのが「占有離脱物横領」すなわち放置自転車の乗り逃げ(21.0%)、傷害や恐喝などの粗暴犯は8.7%、殺人(未遂を含む)、強盗、強姦、放火といった凶悪犯にいたってはわずか1.0%にすぎない。いい換えれば、日本の少年犯罪の特徴は、軽い罪を犯して検挙される例が多いという点だ。その典型的な例が、交番の警察官が盛り場や夜道を巡回し、挙動不審と思われる少年に対して職務質問し、その結果、自転車盗や放置自転車の乗り逃げが発覚するというものだ。

世界で評価される交番

 非行少年の補導など、地域の治安維持に重要な役割を果たし、国際的に注目を集めている交番を、いちはやく導入したのがブラジルである。サンパウロ市郊外のジャルジン・ハニエリ地区は、かつて年間約600人が殺人で命を落とすなど、国連から「世界一危険な地区」と認定されるほどの深刻な治安問題を抱えていた。日本の交番制度に着目したサンパウロ州警察は、1997年に採用を決定、JICAの協力を得て日本の警察官を指導者に招いたり、ブラジル人警察官を日本で研修させたりしてきた。

 2005年に交番が本格導入されると、3年間で同州の殺人事件発生件数は1999年比71%も減少。ジャルジン・ハニエリ地区では、24時間態勢で巡回を行うなどした結果、殺人の被害者は年間3人にまで激減したという。ブラジルには現在、12州の約600カ所に交番があり、成果に注目した連邦政府は全州への拡大に向けて日本の警察庁とJICAに協力を要請、2014年度中に日本から警察官を派遣する予定だ。

 JICAが専門家を派遣、交番制度について技術支援を行った国は、そのほかインドネシア、カンボジア、シンガポールなど。さらに2015年からは、ブラジルと共同でエルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラスで交番の導入を支援し、治安改善を後押しする計画だ。

続々出現する新手の犯罪

 オレオレ詐欺や還付金詐欺といった「特殊詐欺」の2013年における被害額は486億9325万円で、前年を約122億円上回り、過去最悪となった。一方、インターネット上で流出したID・パスワードによってクレジットカードが不正使用されたり、スマートフォンの無料対話アプリLINEの利用者アカウントを乗っ取って、利用者の友人らに電子マネーの購入を持ちかけたりする事件も急増している。IT化や携帯電話の普及によって登場した新手の犯罪に対しては、交番では対応しきれないのが現実だ。

 とりわけ都市では、単身者世帯が増え、人間関係が希薄化していることもあって、聞き込みのような伝統的な捜査手法によって有力な情報を得ることを難しくしている。実際、聞き込みが被疑者検挙のきっかけとなった刑法犯の検挙件数は、この20年間で4割ほどに減っている。

 地域社会の変質は、少年非行のあり方も変えつつある。従来、日本の少年非行の特徴は、非行・犯罪年齢のピークが18~20歳である西欧諸国と異なり、15歳頃にピークを迎え、20歳までに急速に収束していく。高校中退者や不良グループのメンバーであっても、20歳を迎える頃には、地域の大人たちから「いい歳をしてみっともない」という社会的な圧力を受けたからである。保護司や卒業した中学校の教師らも、職場を紹介するなどすすんで世話を焼いた。ところが人間関係が希薄になると、そうした社会的な圧力は消滅し、就職も難しくなる。その結果、社会人になりきれない大人が後輩と一緒に犯罪に走る。非行年齢のピークが欧米型に近づきつつある理由だ。

進む厳罰化と死刑廃止の動き

 犯罪の質の変化と並行して進んでいるのが司法の変化である。

 2004年の刑法改正で、有期刑の上限が「20年」から「30年」に、殺人罪の法定刑の下限が「3年以上」から「5年以上」に引き上げられた。明治以来120年ぶりという法定刑の引き上げは、「体感治安」の悪化を背景に、日本社会が厳罰化を求めた結果といってよい。2010年には、それまで25年だった殺人罪の公訴時効が廃止になり、時効15年だった罪が30年に、10年だった罪が20年に、それぞれ引き上げられた。

 同様に少年法の厳罰化も進んだ。2000年には、刑罰の対象となる年齢が「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げられ、2014年には、少年の有期刑の上限を「15年」から「20年」に引き上げる改正も行われている。

 厳罰化によって、治安の良さをこれからも保持できるかどうかは不確定だ。厳罰化は犯罪者の社会復帰を阻害し、むしろ社会のリスクを増大させるという意見もある。
 一方、究極の厳罰である日本の死刑制度は、人権を重視する世界からの廃止圧力にさらされている。アムネスティの統計によれば、死刑廃止国140カ国(法律上は死刑があるが、執行されていない国を含む)に対し、死刑存置国は58カ国(2013年末時点)。10年前、存置国が80カ国ほどだったから、世界の趨勢が死刑廃止にあるのは明白である。

 存置国・日本への風当たりは強い。たとえば、日本がEUとの間で結んでいる刑事共助協定によれば、日本で死刑相当の重大犯罪を犯した者について、日本がEUに捜査協力を求めても、EUはこれを拒否することができる。1992年、東京・渋谷で交際中の日本人女性を殺害したイラン人が、国外逃亡の末、スウェーデンで逮捕されたとき、日本がスウェーデン政府から犯人の身柄の引渡しを拒否されたのも、死刑存置国であることが理由だった。

 各国は相互に犯罪人引渡し条約を結んでいるが、日本が同条約を結んでいるのは米国と韓国だけだ。これは世界では例外的に少ない(たとえば事実上の死刑廃止国である韓国は29カ国と同条約を結んでいる)。国際的に見て、日本が今後も死刑存置国であり続けるのはかなり難しいのが現実だ。

 これまで日本の犯罪対策は、“予備軍”のうちに犯罪の芽を摘んで社会復帰を促しつつ、凶悪犯には死刑をもって臨むという方式をとってきた。もし刑法・少年法の厳罰化がさらに進み、一方で死刑が終身刑にとってかわったら――司法の変化は、犯罪の質的変化以上に、日本の治安を根本から変えることになりかねない。日本社会の「安全」は、はたしていつまで維持されるだろうか。