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解説

【基礎知識】いったん陥ると抜け出せなくなる依存症という病

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パチンコが大流行した1950年代の店内と、台の裏側を行き交う女性従業員。椅子はなく、客は立って打った(毎日新聞社)

パチンコが大流行した1950年代の店内と、台の裏側を行き交う女性従業員。椅子はなく、客は立って打った(毎日新聞社)

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日本には依存症が飛び抜けて多い?

 カジノを合法化する「IR(Integrated Resort=統合型リゾート)推進法案」は衆院解散で廃案となったが、同法案の推進母体である超党派の「国際観光産業振興議員連盟」(いわゆるカジノ議連)は、2015年3月までに法案を国会へ再提出し、成立を目指す方針を明らかにした。

 日本版カジノの開業にあたって大いに懸念されるのが、ギャンブル依存症の拡大である。根拠の第一は、日本人は他国に比べて依存症に陥りやすいというデータの存在である。厚生労働省の研究班(代表=樋口進・久里浜医療センター院長)が2013年におこなった調査によると、成人人口の4.8%がギャンブル依存症にかかっているという結果が出た。調査は成人4000人を対象に20項目の質問に答えてもらったもので、その結果から推計すると、日本全体では536万人の依存症者がいることになる。米国1.58%、香港1.8%、韓国0.8%といった海外の結果と比べると、日本の依存症の人口比は飛びぬけて高い。

 田村憲久厚労相(当時)は、この調査結果について記者会見で、「世界でパチンコ、スロットのようなものがこんなにある国は日本しかない。(海外とは条件が違う。ギャンブル場の数が多いからといって)世界と比べてギャンブル依存症が多いと判断してよいかどうかは一概にはいえない」と述べた。

 日本には、宝くじ、スポーツ振興くじ(toto)のほか、競馬、競輪、競艇、オートレースといった公営のギャンブルがある。宝くじは戦費調達のため、競馬は軍馬育成という名目で、競輪は自転車、競艇は小型ボート、オートレースはオートバイと、それぞれの産業振興を目的に始まった。加えて、これらとは別に日本社会に根づいているギャンブルがパチンコである(出玉を景品と交換するパチンコホールと、景品を現金で買い取る景品交換所を分けることによって、法律上は禁じられている換金ができるので、私営ギャンブルといわれる)。

年間の総売上げ18兆円のパチンコ・パチスロ

 パチンコは大正末期、露天商がパチンコ台を置いて祭り客に遊ばせたのが始まりといわれる。とりわけ終戦直後は、タバコや缶詰など生活必需品を遊びながら手に入れられるとあって、爆発的に広まった。以後、景気の波に浮き沈みしながらもパチンコは隆盛をきわめ、現在、パチンコ・パチスロ店は全国に約1万1000店余りにおよぶ。2013年のパチンコ店の貸し玉料の総売上げは18兆円余り(1996年までは30兆円を超えていた)。パチンコ店の入場者数は年間約1000万人で(以上、日本生産性本部「レジャー白書2014」)、成人人口比では約9%。それ以外のギャンブルも含めると、日本のギャンブル依存症人口が多くなるのは当然といえる。

 IR法案をめぐっては、カジノの入場者を海外からの観光客に限り、日本人の入場を禁じるべきでは、という意見も出たが、結論にはいたらず、棚上げになった。1967年にカジノを導入した韓国では、現在17カ所あるカジノのうち、16カ所が外国人限定だ。唯一、北東部にある江原(カンウォン)ランドのみに韓国人の入場が許されている。しかし、その実態はといえば、カジノ周辺は質屋が林立し、全財産を失ってもなおカジノに通う「カジノ・ホームレス」と呼ばれる人々が住み着く場所になってしまっている。

「ギャンブルで負けた金はギャンブルで……」

 なぜ人は、ギャンブルにそれほど魅了されるのか。

 子会社から調達した総額106億8000万円もの資金をマカオとシンガポールでバカラ賭博につぎ込み、2011年に特別背任容疑で逮捕された前大王製紙会長の井川意高氏は、その著書『熔ける』(双葉社)で、自らがカジノにのめり込んでいったいきさつを明かしている。カジノには種銭が尽きても借りられるシステムがある。井川氏は、借りた金でいっきに負けを取り返したときの快感が忘れられなかったという。100万円単位で始めた勝負が、まもなく1000万円単位に、さらに1億円単位にとエスカレート。一晩で20億円を失ったこともあった。「ギャンブルで失った金はギャンブルで取り返さなければ」という思
いが、彼をして深みにはまり込ませていったのである。皮肉にも、井川氏をギャンブル地獄から救い出すことができた唯一の手立てが「逮捕」の二文字であった。

 パチンコ依存症に警鐘を鳴らし続ける精神科医、帚木蓬生氏の著書『やめられない』(集英社)には、パチンコにはまってサラ金に2000万円の借金をつくった主婦の手記が収録されている。夫婦仲は破綻、息子と娘にもサジを投げられた。しかしそれでもパチンコをやめられない彼女はいう。「パチンコ店に入ると、ほっとする。パチンコをしていると何もかも忘れることができる。自分の居場所はここだ」と。
大当たりしたときの快感が脳裏に焼きついているのである。

「依存症」とはどういう心理状態か

「依存症」(アディクション)とは、ある習慣への執着を指す言葉だ。執着の引き金となるのは「快感」である。「快」を感じるのは脳内で神経伝達物質のドーパミンが放出されるからだ。

 動物は、ある行動を起こすことによって快感が得られると、その行動を反復しようとする。逆に嫌悪感をもよおせば、その行動を避けようとする。問題は、冷静に考えれば嫌悪感を覚えるはずの行動であっても、人間の脳には快感だけが記憶として残り、しだいに嫌悪感に鈍感になっていく点だ。たとえば飲酒にそれがいえる。大学のコンパでイッキ飲みを強要され、吐いたり二日酔いになったりしてさんざんな目にあっても、酔ったときの楽しい気分が記憶に残っていると、その気分が忘れられず、再び飲むようになるのである。そのうちに、飲酒にともなう嫌悪感より快感のほうがはるかに強く感じられるようになり、さらには、肝臓を壊そうが、暴力沙汰になろうが、快感を求めて飲酒を繰り返すようになる。これがアルコール依存症である。

 依存症には、三つの類型がある。一つは、アルコールや薬物など、モノに対する依存で、アルコール依存症は人類最古の依存症といってよい。この病との戦いの歴史は長く、代表的なのがアメリカで1920年に制定された禁酒法である。背景には、しのびよる不景気とあいまって、禁欲的な道徳律を説くピューリタニズムの高まりと、貧困から酒に溺れる労働者が増大するという風潮があった。しかし、禁酒法は逆に酒の密造・密売をはびこらせる結果となり、13年後には廃止された。

 二つ目はプロセスに対する依存だ。ギャンブル依存症や買い物依存症、盗癖、放火癖などがこれにあたる。食べては吐く過食症は、食べ物というモノへの依存ともいえるが、実際には「食べる」というプロセスがもたらす快感への依存のほうが強い。

 三つ目は人間関係に対する依存である。たとえば、アルコール依存症の男性の妻は例外なく夫に酒をやめさせようと奮闘するが、その苦労はほとんど報われることがない。結果、妻はひたすら耐え忍び、夫を支えることに価値を見出す「共依存」の関係に陥ってしまうのである。そうなると、妻自身の欲求や怒りは封印されてしまい、夫は自立できなくなる。親に虐待されて育った子供が、成人したのちも支配と被支配の関係を断ち切ることができずに親の言動に振り回され続けるというケースも、「共依存」のカテゴリーに入る。

 いずれにしろ快感が引き金になる依存症は、人間なら誰にでも起きる反応であるだけに、病気かどうかの線引きは難しいというのが現実である。あえて規定するなら、周囲が迷惑している場合は治療を要する、ということになる。

「やめようと思えばやめられる」のか?

 では、依存症から回復する道はあるのか。

 依存症に対するもっとも大きな誤解が、「意志が弱いから○○がやめられない」という考え方だ。じつは依存症は、「やめようと思えばやめられる」という意志の病ではないのである。

 「犯罪白書」(2014年版)によれば、万引き犯546人についてその後2年間の追跡調査をしたところ、再犯率のもっとも高かったのは65歳以上の女性で、ほとんどのケースで、背景に近親者の病気や死、家族との疎遠やトラブルがあったという。万引きの動機の多くは孤独感や不安からの逃避である。だから常習の万引き犯を罰として刑務所に入れても、盗癖は根本的には治らない。依存症の治療には専門家の助言が欠かせないといわれるゆえんである。

 依存症治療の歴史は、150年ほど前の「アルコール中毒」対策に始まる。大きく進展したのは、ベトナム帰還兵の間でアルコールや薬物依存の問題が浮上した1970年代のアメリカだった。政府がその対策に本腰を入れると同時に、保険会社がアルコール依存症治療を医療保険給付の対象とし始めたことも一因となった。

 治療は、本人が「自分は○○をやめようと思えば、いつでもやめられる」と思うことをやめ、「自分は○○をコントロールできない」と認めるところから第一歩が始まる。回復のカギを握るのは家族である。そこには、酒が原因で引き起こした失態を家族が尻拭いしたり、ギャンブルで作った借金を家族が肩代わりしている限り、けっして本人は立ち直れないという前提がある。

依存症脱出は同じ立場の仲間とともに

 依存症治療の第一人者である精神科医の斎藤学氏は、依存症を悪化させる可能性の高い人々として、4種類の人間を挙げている。「妻や母=家族」「友人たちや親切な上司」「牧師さんなどの宗教家」、そして「医者、とりわけ精神科医」である。理由は、これらの人々は依存症者の悩みや苦しみを、その場その場で和らげてしまうからだという。依存症からの脱出は本人にしかできないということに、本人はもとより周囲が思いいたらなければ治療は進まないのである。斎藤氏はこれを「治療者無力の処方」と呼んでいる。

 もっとも力になるのは、依存症者らが定期的に集う自助グループだ。自分の力ではやめられないものをやめるには、同じ立場の仲間との対話が不可欠で、アルコール依存症の場合ならAA(アルコホーリクス・アノニマス)、ギャンブル依存症の場合はGA(ギャンブラーズ・アノニマス)という集まりに参加し、互いの壮絶な体験を披露し合ったり、励まし合ったりしながら、「○○をしないでいられる」ように自分を仕向けていくのである。

 帚木蓬生氏は、前出の著書『やめられない』の中で、初めてGAに参加した依存症者からの印象的な手紙を紹介している。

「……最後に僕の番になって、自分も会社の金を使ってしまい、親や姉たちに迷惑をかけたと白状しました。こんなに人前で自分の恥を話したのは初めてです。次に女房が涙を流しながら、苦しかったこ
とを吐き出し、僕はその横でじっと聞いていました。しかし、女房が子供をつれて死のうとまで思っていたのは、知りませんでした。死んだら僕がギャンブルをやめてくれるだろうと思ったそうです」

 手紙の主は、以来、定期的にGAに通い続けている。出張があれば出張先のGAの場所を調べては参加した。そして2年後のいまも「断ギャンブル」を貫いているという。