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解説

【基礎知識】小選挙区制のどこが問題なのか

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得票率48%で76%の議席を得る

 2014年末の総選挙は、自民党の圧勝劇で幕を閉じた。「大義なき解散」「争点なき選挙」「熱狂なき大勝」……意味の見出しにくかった今回の選挙を評して、さまざまな形容がなされた。とりわけクローズアップされたのが、52.7%という戦後最低の投票率と、48%の得票率(295小選挙区の有効得票総数に占める自民党候補全員の総得票)で76%の議席を占有できる(自民党は295小選挙区で223の議席を獲得)という小選挙区制の“マジック”だった。いいかえると、自民党は、小選挙区に投票した人の、2人に1人弱の得票で、じつに衆議院の4分の3の議席を得たことになる。

 小選挙区制は一選挙区から一人を選ぶ方式のため、自民党が優勢の選挙区では、野党に投票してもそれは「死に票」となってしまい、正確な民意が反映されにくいという特色がある。

 この得票率と議席占有率の乖離は、すでに2005年9月、小泉首相のもとでおこなわれた「郵政選挙」で指摘されていた。郵政民営化に賛成した自民・公明の候補者が小選挙区で49%の得票率にとどまったのに対し、議席占有率はやはり75%。人気の追い風も受けて286議席を獲得する大勝だった。

図1 自民党の得票率・議席占有率

図1 自民党の得票率・議席占有率

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小選挙区制はいつ、なぜ生まれたのか

 戦後、中選挙区制に代わって小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が導入されたのは、1994年、細川首相のときである。

 これをさかのぼる数年前、リクルート事件(1989年)をきっかけに、政財官の癒着が社会問題化し、政治改革が叫ばれていた。このとき、「政治腐敗の元凶は中選挙区制にある」として、日本の選挙制度を小選挙区制に変えるべきだと主張したのが、当時、自民党の実力者であり、竹下派に属していた小沢一郎氏(現・生活の党代表)である。小沢氏は、中選挙区制を守ろうとする議員を守旧派と呼び、党内を二分する議論を巻き起こした。しかし小沢氏が主導した政治改革法案が成立に至らなかったため、野党から提出された宮沢内閣不信任案に賛成。この結果、不信任案が可決され、1993年、解散総選挙に突入する。

 小沢氏は解散直後に自民党を離党、新生党を立ち上げた。自民党はこのときの選挙で下野、7党1会派が結集した非自民・細川政権が誕生する。政権の立役者であり、イギリスのような議会政治を定着させるには「政権交代可能な二大政党が必要」が持論の小沢氏の意をくみ、細川首相と、当時自民党総裁だった河野洋平氏が会談、小選挙区制の導入が決まった。

 小選挙区制は二大政党制を生みやすいとされるが、そう指摘したのはフランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェである。たとえば1議席を争う小選挙区では、第3党以下は淘汰されてしまい、第1党か第2党の候補者ばかりが当選する。有権者のほうも、当選可能性の低い候補者には投票しなくなるため、結果的に二大政党に収斂していくという(デュヴェルジェの法則)。

河野洋平氏の「謝罪」

 2014年11月25日、憲政会館で行われた故・土井たか子氏(元社会党委員長・元衆院議長)のお別れ会で、河野洋平氏は次のような謝罪の言葉を述べた。

「(私は土井さんに)謝らなければならない大きな間違いをした。細川さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたは(私たち2人を)呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、『ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ』といわれた。あなたは小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。しかし社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは
信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない」

 当時、河野総裁、細川首相ともに、本音では「穏健な多党制」を志向していたという。

「一強多弱」は歪な1党優位

 1994年の小選挙区制の導入以後、これまで7回(1996年、2000年、2003年、2005年、2009年、2012年、2014年)の総選挙を経験したが、2009年までは導入時の狙いどおり、ほぼ二大政党制が定着しつつあったといってよい。実際、2009年には政権交代が実現した。しかし、直近2回の総選挙(2012年、2014年)はまったく逆で、かつてと同じ自民党一党支配の構図だった。

 この2回の選挙が二大政党制の瓦解を意味するとすれば、その責任は、ひとえに野党第一党である民主党にあるといって過言ではない。民主党は2012年の選挙の前から消費税増税をめぐって分裂、維新の会、未来の党(代表・小沢一郎)、減税日本を誕生させ、離党組は、みんなの党にも合流した。続く選挙に惨敗、小政党を生み出す引き金となった。「一強多弱」状況の出現である。

 2014年の総選挙の1年近く前に、一橋大学の中北浩爾教授は、こうした状況について次のように指摘していた。〈「デュヴェルジェの法則」は、あらゆる条件の下で働くわけではない。野党の結集が難しく、現在のように「一強多弱」であれば、小選挙区制は、二大政党が切磋琢磨する二大政党制ではなく、最大政党に過剰な議席を与える歪な一党優位政党制をもたらす〉(「世界」2014年2月号)。はたして中北教授の推論どおりになった。

日本に二大政党がなじまない理由

 小選挙区制が生み出すとされる二大政党制については、これまでも多くの識者から危惧する声があがっていた。2009年の政権交代(民主党政権誕生)を受けて、佐伯啓思・京都大学教授(当時)は、「二大政党政治がイギリスとアメリカで発展したのは、これらの国の歴史的な条件によるところが大きい。イギリスの保守党と自由党の対立は、貴族や郷紳(地方に住む紳士)らの上層階級と新興ブルジョア階級の対立を反映し、20世紀の保守党と労働党の対立も階級利害を反映したものであった。アメリカの場合には、建国の精神を、白人(とくにアングロ・サクソン系)かつプロテスタントのもつ自主独立の個人主義や自由主義と宗教精神に求める考えと、アメリカのアイデンティティを多様な民族や人種を包括した移民国家に求め、それを統合するリベラル・デモクラティックな共同体ととらえる考え方の二つがある。共和党は前者に傾き、民主党は後者に傾く。では、日本ではそのような条件があるのか。むろん、答えはノーであって、日本はイギリス的階級社会でもなければ、アメリカのように理念において二つのアイデンティティが対立する国家でもない」(『日本の論点2010』より)と述べた。日本のような対立構造をもたない同質的な社会には、そもそも二大政党制はなじまないというのである。

選挙制度改革は進むか

 小選挙区比例代表並立制を改め、中選挙区制に戻す、比例代表制を中心に据える、小選挙区と連用制の混合型にする、など、さまざまな選挙制度が議論されてきたが、いまだに民主党では、政権交代を容易にするとして小選挙区制を維持すべきという声が強い。与野党ともに、「国会議員自らが身を切る努力を」と、比例部分を縮小する定数削減には合意(民主党=80減、自民党=30減)こそしたものの(2012年12月の党首討論)、選挙制度自体の改革については、その後なんの動きも見せなかった。

 ようやく「衆議院選挙制度に関する調査会」(衆議院議長の諮問機関。佐々木毅・元東大総長を座長に有識者15人)が設置されたのは、2014年7月。現行の小選挙区比例代表並立制に対する評価や諸外国との比較、「一票の格差」の是正などが検討される予定だが、これまでに4回開かれた会合で論じられたのは「一票の格差」問題のみ。12月24日、新しく衆院議長に選出された町村信孝氏は、答申が出たあかつきには尊重するよう各党に求めた。ただ、調査会の佐々木座長はかつて小選挙区比例代表並立制導入の際の提唱者の一人でもあり、選挙制度についての議論がどれほど深まるかは定かではない。