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【基礎知識】相続税増税の本当の狙い

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基礎控除の縮小で一般庶民も対象に

2015年1月1日、改正相続税がスタートした。今回の大きな改正点は基礎控除額(非課税枠)の縮小である。相続税といえば、これまで一部の資産家に課されるイメージが強かった。相続税の基礎控除額が大きく、一般庶民には無縁の話だったからだ。従来の基礎控除額の算出は「5000万円+(1000万円×法定相続人数)」。たとえば、夫婦と子供2人の世帯で世帯主が亡くなって相続が発生すると、法定相続人は、世帯主の配偶者と2人の子供の3人で、基礎控除額は8000万円となり、家・建物、現金、預金、株など遺産の合計が8000万円以下なら相続税はゼロだった。

国税庁の発表によると、2013年に亡くなった約126万8000人のうち、遺産が相続税の課税対象となった人は5万4421人で、全体の4.3%(課税対象の総額は約11兆6253億円で、申告税額は約1兆5367億円)。100件の相続の発生に対して、納税が必要になるのはそのうち4件という、ごく少ない割合だった。

しかし、今回の改正で、基礎控除額が「3000万円+(600万円×法定相続人)」に引き下げられた。相続人が配偶者と子供2人の場合、基礎控除額は4800万円。すでに自宅のローンを支払い終え、老後の資金として退職金をささやかに運用している人なら、ほとんどが対象になりそうな額だ。財務省は、今回の改正で相続税が課税される人の割合は6%台になると見込んでいる。2013年3月、相続税増税を盛り込んだ税制改正法案の成立後、証券会社や銀行などが主催する相続税関連セミナーに、ごくふつうの家庭をもつ元サラリーマンが殺到したのも、いまや相続税は一般庶民も逃れられない税であるという認識と、節税対策への切実な思いからだといってよい。

図1 主要国の相続税の負担率

図1 主要国の相続税の負担率

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地価高騰が招いた相続の悲劇

わが国の相続税は、日露戦争の戦費調達を目的に、開戦の翌1905年(明治38年)1月1日に公布され、4月1日に施行された。当初は臨時的な特別税法だったが、明治政府の財政困窮によって恒久化されていった。

日本の税制が一変したのは、第2次大戦後の1949年、コロンビア大学のカール・シャウプ博士を団長とする税制調査団が来日し、「日本税制報告書」(シャウプ勧告)をまとめてからだ。財閥等への富の集中を防ぐため累積的取得税を採用すべき、とするシャウプ勧告を受け、相続税・贈与税に関しても、1950年に最高税率を90%とする累積課税方式が施行された。累積的取得税とは、一生涯の贈与と遺産相続分をすべて合算して、累進税率で課税するという、逃れることのできない租税形態のことである。しかし、このシャウプ勧告に沿った相続税は3年後に廃止され、その後は法定相続分課税制度の導入や基礎控除額の引上げ、最高税率の引下げを含む税率構造の見直しが繰り返されてきた。

バブル崩壊直後の1994年の改正では、基礎控除額が「5000万円+(1000万円×法定相続人数)」に引上げられた。地価の急騰にともなって急増した相続税の対象者を抑制するための措置であった。背景には、銀座の一等地にある文具の老舗・鳩居堂の社長が、莫大な相続税負担を悲観して自殺したり、日本画家・奥村土牛の四男の奥村勝之氏が、「相続額を減らすために遺品の素描を焼かざるを得なかった」(『相続税が払えない』ネスコ刊)など、相続をめぐる悲劇の続出があった。首都圏では、相続が発生するたびに宅地が分筆されて売られ、街並みを一変させた。

ところが、バブル崩壊後に地価が下落したものの、基礎控除の引下げは行われなかった。このため、相続税を納める人が100人当たり4人という少ない状況が生まれ、相続税収は1993年の2兆9000万円をピークに漸減していったのである。

なぜ税収が激減したのか

シャウプ税制の基本理念は、直接税中心主義にあった。シャウプ勧告が直接税に重点を置いたのは、国民が課税に負担を感じ、納税することで、税の使途に関心を持つと同時に、納税意識を高められると考えたからだといわれる。税には、所得税や法人税などの直接税と、酒税やたばこ税、消費税などの間接税があって、一般に間接税は収入にかかわらず徴収されるので、事業意欲や勤労意欲を削ぐことがないとされる。

その後も、直接税を中心とした税制が続いたが、とりわけ税収の柱となる所得税には、つねに脱税という善良な納税者にとっては由々しき不公平がつきまとった。税務当局が実際の課税所得の何%を捕捉しているかを「捕捉率」と呼ぶが、サラリーマンの捕捉率はほぼ100%に近いのに対して自営業者は5割、農家にいたっては3割程度というのが現実だった。また所得税や法人税による税収額は、そのときの景気に大きく左右されるという問題も抱えていた。そこで、こうした直接税重視の弊害を少なくするために1989年に導入されたのが消費税である。

消費税導入直後は、折からのバブル景気も手伝って、基幹税である所得税の税収は1989年の21兆4000億円から1991年の26兆7000億円まで伸び続けた。「65(ロクゴー)脱却」(昭和65年=1990年に赤字国債発行をゼロにする)といわれた財政健全化目標も達成し、「日本は財政の優等生」と賞賛された。しかしバブル崩壊後、所得税収は坂道を転げ落ちるように激減、この10年は15兆円前後で推移している。かつて15兆円あった法人税収入も、リーマンショック後は10兆円を下回った。消費税は10兆円前後で推移しているものの、全体の租税収入はプライマリーバランスにはほど遠い状況だ。1990年代以降に日本の税制が税収調達能力を失った主な要因を、神野直彦・東京大学名誉教授は「度重なる減税政策にある」と指摘する。

〈政策的減税つまり税制改正による減収は1992年度から1995年度にかけて9800億円にも達しているのです。さらに1996年度から1999年度までを見ると景気が回復し、年度平均で4853億円の自然増収があったにもかかわらず減税政策が強力に進められていきました。同時期には自然増収を打ち消して余りある年度平均で2兆1382億円という大減税が実施されていくのです。法人税減税も形振り構わず税率を引き下げ、租税特別措置も拡大するという減税が実施されていきます。こうして所得税・法人税という基幹税を崩しながら、一般消費税の増税を図ろうとしたため、租税調達能力を大幅に喪失してしまったと言うことができます〉(『税金 常識のウソ』文春新書)

減税によって経済を活性化し、結果的に税収の増加を図る、というのが一連の政策の目的であったが、現実には狙いどおりにはいかなかった。

高齢者の資産を子・孫世代に移す

所得税・法人税の調達能力が低下し、さりとて国民の強い反発を招きかねない消費税増税に踏み切れないなか、租税調達機能の回復・強化の伏兵として注目を集めてきたのが、相続税とこれを補完する贈与税だった。

現時点では、相続税が国の歳入に占める割合は3%程度とごくわずかだ。だが多くの高齢者が多額の金融資産を保有している現実を考えると、将来、相続という資産移転が大規模かつ継続的に行われていくことは十分予測できる。総務省の「家計調査報告(貯蓄・負債編)」によれば、2人以上世帯の家計貯蓄総額の約66%を、世帯主が60歳以上の世帯が占めている。また日銀の資金循環統計によれば、2014年9月末の家計金融資産残高は1654兆円。今後10年間で相続によって500兆円の資産移転が起こるとの予測もある(宮本佐知子・野村資本市場研究所主任研究員)。多額の資産が相続や贈与によって若い世代に移転することで、経済は活性化する――相続税増税の一番の狙いである。

2014年12月30日、政府・与党が策定した「2015年度税制改正大綱」では、改正の目玉として法人税改革(初年度の実行税率は2.51%下げ、下げ幅は2年で3%台を目指す)とともに、父母らの贈与で住宅を取得した場合の贈与税の非課税枠を、2015年に1500万円(省エネ住宅の場合)、2016年10月から3000万円に拡充するとしている。いうまでもなく、消費税が10%に上がるタイミングで、住宅市場が冷え込まないようにするための措置だ。

また2015年4月から、結婚・妊娠・出産・育児にかかる費用(物品の購入ではなく、たとえばベビーシッター代など)を一括贈与された場合、1000万円まで非課税にする制度も始める。ただし、贈与を受けた者が50歳になった時点で、消費しきれずに口座に残っていたら、その残高に課税され、贈与した祖父母や親が亡くなったときも、口座に残高があれば相続税がかかる。つまり相続税が上がれば上がるほど、親世代から子世代への資産の移転が進むという仕組みだ。しかも、使いきれなければ結局課税されるわけだから、消費したほうが得ということになる。「お金を使わなければ損」な税制にすることで、高齢者が保有する豊富な資金を流動させ、経済活性のバネにするというわけである。

日本の相続税は高いのか

日本の相続税が国際的に見て高いか低いかは、国によって控除や軽減の条件が異なるため一概にはいえない。ただ、課税価格3億円の場合で比較すれば(グラフ参照)、日本の相続税負担率はイギリスより低く、ドイツやフランスより高い。アメリカは別格に低いが、連邦税のほかに州ごとに異なる率の課税があり、どこに住むかによってかなり違う(ちなみに、アメリカとイギリスは「遺産税」方式で、まず故人の遺産に課税し、納税後に残ったものを相続人に分配する)。

アメリカでは2001年、ブッシュ政権の大型減税政策の一環として遺産税の段階的縮小と廃止が決まり、2010年にいったん税率がゼロになった。ブッシュ減税はここで失効する予定になっていたため、オバマ政権下の2011年には遺産税も復活、現在は2001年当時よりも縮小した形で継続されている。

相続税を廃止した国の一つにスウェーデンがある。地価が高騰して負担が大きくなりすぎたのと、富裕層の海外逃避を招いたのが主な理由だった。廃止にこぎつけられたのは、税収に占める相続税の割合が1%未満と低く、廃止の影響があまりないと判断されたからだった。

相続税は廃止すべきだとする議論は日本にもある。たとえば、渡部昇一・上智大学名誉教授は、死後に私有財産をとりあげて国民に再分配する相続税は、「財産権は、これを侵してはならない」と定めた憲法29条違反であり、むしろ相続税をゼロにして富豪を育てたほうが経済の活性化に貢献する(富豪はお金を使う)という。そもそも、稼いだお金にはすでに所得税を支払っているのに、それが蓄積した財産に相続税を課すのは二重課税ではないかとの疑問を抱く人は多い。

一方、評論家の和田秀樹氏のように、相続税の税率は100%であるべきだと主張する論者もいる。財産は一代限り、そのほうが“無能な2代目社長”のような存在は淘汰されるし、高齢者が資産を貯め込むこともなく、消費され、その結果、経済は活性化する、という考え方だ。

どちらも極端な議論ではあるが、今回の相続税増税は、後者の狙いに近い。実効はあるのか、それとも国民の重税感が増すだけなのか、結果が見えてくるのは数年後になる。