経済

【再録・日本の論点】一つの成功は無数の失敗の上にある──私の研究人生を支える二つの言葉

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線維芽細胞から樹立したヒトiPS細胞のコロニー(集合体)。コロニーの横幅は実寸約0.5ミリメートル(山中伸弥)

線維芽細胞から樹立したヒトiPS細胞のコロニー(集合体)。コロニーの横幅は実寸約0.5ミリメートル(山中伸弥)

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諦めた夢

 私がまだ整形外科の臨床医になりたての頃である。重症の関節リウマチにかかった女性の患者さんを診た。しばらくすると症状は悪化し、頭骨に釘を刺して首を支えねばならないような状態にまで進行した。私にできることといえば、毎日の点滴である。ベッドの傍らには写真立てが飾ってあった。私は、そのふっくらした女性を指して「これは妹さんですか」と尋ねた。すると彼女は、「それは1、2年前の私です」と答えた。

 この難病と闘っている患者さんに、私はいったい何ができるのだろうか。無力感にさいなまれた。

 それまで私は、スポーツによる外傷や障害を負った患者さんを治療する専門医になりたいと考えていた。子どものときからスポーツが好きで、怪我ばかりしていたからだ。大学卒業後は、神戸大学医学部の先輩が大阪市立大学でスポーツ整形を手掛けておられたので、そちらにお世話になり、国立大阪病院の研修医になった。

 そこで出会ったのが先のリウマチ患者さんだった。運の悪いことに、私はこの研修期間中に父親を亡くしていた。加えて、研修は予想以上に厳しく、自分には手術の才能が与えられていないのではないかとさえ感じていた。スポーツ外傷の治療という目標に向かっていたはずが、そこにいるのは夢をあっさりと諦めている自分であった。

 2年の研修を終え、ボロボロになりながら、私は逃げるように大阪市立大学大学院の薬理学教室に入り、研究者としての道を歩み始めた。しかし、何が幸いするかわからないものだ。そこで出会った先生に基礎研究のイロハを教えていただくうちに、 まったく別の世界が開けてきたのである。

転機と思えばまた挫折

 基礎研究というのは、いわば真っ白なキャンバスに自由に描きなさい、という学問だ。臨床医とは違って、研究者には外国の研究者との交流があり、論文を発表することで彼らと競争し、世界の舞台で評価される。一生を捧げることになるかもしれないが、難病の治療に役立つ発見ができるかもしれない。このとき私の頭に新たな目標が形づくられた。

 4年ほど薬理学を研究し、ノックアウトマウス(*1=編集部注)の作製技術を学ぶため、私は米国のグラッドストーン研究所に留学した。ノーベル賞を受賞した先生が多数いる、カリフォルニア大学サンフランシスコ校と連携していた一流の研究所である。恵まれた環境だった。毎日が充実し、レベルの高い研究ができた。

 子どもが小学校にあがるのを機に、家族が帰国、私もそれに続いた。だが、日本では研究環境が一変した。研究者たちとのディスカッションはなく、毎日、増える一方の実験用のマウスの世話ばかり。研究費も限られていた。論文もなかなか通らず、はたしてこんな研究の仕方を続けていてよいのだろうか──1年たらずで心が折れそうになった。

 米国では朝6時に起きて研究室に向かったのに、9時になっても起きられないのだ。私は軽いうつ状態になった。心機一転、新しいポストを求めていくつかの大学に応募したが、いずれも不採用だった。臨床医にもどろうか、そのほうがすこしは人の役に立つのでは、と考えはじめていた。

 奈良先端科学技術大学院大学が、研究室付きという好条件で助教授を募集しているのを知ったのは、どうしたものかと悩んでいるときだった。これに応募して不採用なら、今度こそ基礎医学はやめようと思った。ところが結果は採用だった。1999年の冬、37歳のときである。

他人がしない研究をあえて選ぶ

 その前年の1998年に、米ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授がヒトES細胞(*2)の作製に成功していた。私の胸は高鳴りを覚えた。奈良先端大は、グラッドストーン研究所の居心地に近かった。すばらしい施設、教員、そして学生がいた。研究者としての私は一度死んだのに、神様がチャンスを与えてくれたのだ。それなら他の人がやらない研究を目指そう。それが多能性幹細胞をつくる研究だった。

 当時、世界におけるこの分野の研究トレンドは、「ES細胞からどんな組織細胞に分化させることができるのか」だった。だが私は、逆に「皮膚などの体細胞からES細胞のような多能性幹細胞をつくれないか」と考えた。このことをテーマに据えたのは、優秀な学生を獲得するには魅力的な研究テーマが必要だったからである。それに、ES細胞は受精卵を使うため倫理的な問題があった。

 この研究目標を達成するために、私は仮説を立てた(*3)。ES細胞には、ES細胞たらしめる“大事な遺伝子”が存在するはずで、それを体細胞に入れれば細胞核は初期化され、ES細胞のような性質を獲得するのではないか。では、その遺伝子とは何なのか、何個あるのか。何十年も費やさねばならない研究テーマだと思っていた。

 実際、最初の3年間は失敗の連続だった。しかし、かつての挫折と違ったのは、研究室にいたのが私一人ではなかったことだった。信頼する大学院生、そしてスタッフみんなが協力し励ましてくれた。とくにノックアウトマウスを作ってくれた女性技術員の献身がなければ成功はおぼつかなかった。

 数えるほどのスタッフと少ない研究費で、何万個もあるヒト遺伝子の働きを一個一個調べていくのは不可能だ。私たちは無料のデータベースやデータ解析のプログラムを利用して、コンピューターを活用しながら効率的に遺伝子を絞り込んでいった。こうして最初の24個を選んだ。遠いゴールが見えた気がした。

iPS細胞の誕生

 2005年の夏のある日のことである。ポスドク研究員のひとり、高橋和利君の声が響いた。「先生、できています!」。マウスの皮膚細胞が初期化していたのだ。このとき、私の研究室は京都大学へ移り、奈良先端大のメンバー数人と一緒に研究を続けていた。私たちは、24個の遺伝子から運よく細胞核の初期化に不可欠な4つを見つけ出したのである。拍動している細胞は、皮膚だった細胞からできた「ES細胞様の細胞」(のちにiPS細胞と命名)(*4)から分化させた心筋細胞だったのだ。

 2006年6月、私はトロントで開催された学会で、マウスの皮膚細胞に、4つの遺伝子を加えるだけで多能性幹細胞ができることを発表した。最初はどの研究者も半信半疑だった。

 しかし、方法がわかってしまえば誰でも再現できる研究(じつはこれが科学の進歩には大切なことなのだが)(*5)ゆえに、米国の研究所との熾烈な戦いが待っていた。07年11月、私たちが世界初のヒトiPS細胞樹立の成功を発表したその日、ジェームズ・トムソン教授が、同じ研究の成功を発表した。

 米国の研究所から私にもオファーがあった。待遇を聞いて驚いた。米国の研究者はフットワークが俊敏だ。研究者の数、資金もケタが違う。米国の研究所に3日間いるだけで、日本に1カ月間いるよりも多くの情報が得られるほどだ。

 だが私の目標は、まず日本でiPS細胞を実用化し難病治療に活かすことだ。さらに、世界中の患者さんがこの技術を用いた医療の恩恵を受けることだ。そのためには、iPS細胞技術に関する知的財産を確保することが重要である。この技術を独占しようとする人たちに先を越されてはならない。日本の研究者が効果的に協力するオールジャパンで戦うことが大切だ。2010年4月、京都大学に新しいiPS細胞研究所が設立された。私は、この研究所を、難病や外傷で苦しむ患者さんを救うために研究をリードする、世界最高のiPS細胞研究拠点にする決意を新たにした。

私を励ましてくれた2つの言葉

 まだ道半ばだが、これまでの私の研究人生を支えてくれた言葉が2つある。「VW」と「人間万事塞翁が馬」(*6)だ。
 
「VW」はグラッドストーンに留学したとき、当時の所長のDr.マーリーから聞いた言葉である。VはVision、WはHard Work。はっきりした目標をもち、それに向かってハードワークせよ、という意味である。夢中になって一生懸命やるのはいいが、注意しないと、その仕事自体に満足して、その先のビジョンが見えなくなることがよくあるのだ。それでは無駄な努力に終わる。

 うまくいかないことも当然ある。私の研究も不運や失敗の連続だった。しかし歯を食いしばって次のステージに進むと、かつての挫折がじつは次の跳躍のバネになっていることがわかる。屈めば屈むほど、高くジャンプできるのだ。苦しいときこそ、ビジョンを確認し、次のジャンプに備える。むしろ調子のいいときこそ、気を引き締める必要がある。まさに「人間万事塞翁が馬」である。

 iPS細胞の研究は、米国をはじめとする超一流大学との厳しい競争のさなかにある。したがって、一つの論文の発表で一喜一憂せずに、たゆまず研究を進めることが大切だ。遠いゴールを目指す長丁場であるところはマラソンに近い。私は、マラソンが好きで、フルマラソンも4、5回走った。もちろん他者との競走だから順位の争いはある。ただ他の競技と少し違うのは、勝ち負けより自己ベストをどう短縮するか、というもう一つの目標があることだ。

 iPS細胞技術を一日も早く実用化につなげ、難病治療に活かさなければならない。自ら課した使命を確認し、一歩でも目標に近づく──肝心なのはその努力なのである。

(この論文は、ご本人の了解を得て『日本の論点2011』より再録させていただいたものです)

【編集部注】

*1 ノックアウトマウス

ある遺伝子の働きを失くした(ノックアウト)マウス。その結果、起こる変化を観察して遺伝子の機能を調べる。

*2 ES細胞

胚性幹細胞(embryonic stem cell)。さまざまな細胞に分化でき、無限に増殖できる細胞。ES細胞をつくるには、受精卵から細胞を抜き取る必要があり、生命倫理上の問題があった。このため2006年、ブッシュ大統領は拒否権を使って、米国連邦政府の予算での研究助成を禁じたが、オバマ政権になってこれは解除された。
一般に、ES細胞やiPS細胞は「万能細胞」と呼ばれているが、それら1個では個体にはならない。この意味で多能性幹細胞と呼ぶのが正しい。

*3 仮説を立てた

クローン羊「ドリー」の成功(1996年)によって、ヒトの細胞の初期化も理論上は可能であることはすでにわかっていた。2001年に、京大の多田高准教授が、体細胞とES細胞を融合させると体細胞は初期化されるという研究を発表、山中教授はこれが大きなヒントになったという。

*4 iPS細胞

人工多能性幹細胞(Induced pluripotent stem cell)。ES細胞のように受精卵を使わず、皮膚などの細胞から作ることが可能なため生命倫理上の問題が少ない。頭文字を“i”と小文字にしたのは、一般の人にも親しみやすい名前にしたかったからだという。

*5 誰でも再現できる

山中教授が2006年8月に科学誌『cell』にiPS細胞樹立成功についての論文を掲載した際、内外から疑問の声があがった。しかし、米国の2つの大学が追試に成功したことで研究の結果が裏付けられた。

*6 人間万事塞翁が馬

中国の故事成語。北方のとりで(塞)近くに住んでいた老人の飼い馬が逃げ出したが、立派な馬を連れて帰ってきた。喜んだ老人の息子がその馬に乗ると落馬して骨折してしまった。しかし、このケガによって息子が徴兵を免れたという。人間の人生は幸・不幸が予測できないため、いたずらに一喜一憂してはならないという戒めに使われる。