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憲法改正大論争

【再録・日本の論点】すでに冷戦が終わった。日本はいやでも「憲法」に直面しなければならない 江藤淳

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20年にわたる『日本の論点』誌上の憲法論争を精選。おもな争点は「そもそも憲法とは何か」「9条と戦争放棄」「前文のあり方」の3つ。いずれも私たちが憲法観をかたちづくるうえで避けて通ることのできないテーマだ。さてあなたは、どんな議論に同意するか? 終戦時、米占領軍が日本国憲法の制定にどんな役割を果したのか。故・江藤淳氏が明らかにした歴史の真実と、それに向かい合えない日本のジャーナリズムの欺瞞とは(1992年執筆)。

第9条は主権制限条項にほかならない

 私が『諸君!』誌上に「一九四六年憲法――その拘束」(『落葉の掃き寄せ』と合本、文藝春秋刊。現在は文春学藝ライブラリー)を発表してから既に満12年の歳月が経過した。

 私はこの論文を、当時、国際交流基金派遣の研究員として在籍していた米国ワシントン市のウィルソン研究所で書いた。そしてファクシミリーで『諸君!』編集部に送り、雑誌が発売された昭和55年(1980年)7月2日に帰国したのである。

 米国に保存されている一次史料によって制憲の過程を明らかにし、その過程が周到極まる米占領軍の検閲によって隠蔽された事情を公けにしたこの論文は、当然のこととして反響を呼んだ。それはまた、この論文が、憲法第9条が平和維持条項ではなく、実は主権制限条項にほかならないという事実を、指摘していたからでもあった。

 いうまでもなく私は、いたずらに世間を騒がせようという目的で、この論文を公表したわけではない。それどころか、私は何度も熟慮を重ねたあげくに、天に祈るような気持で思い切って『諸君!』編集部にそれを送ることに決めたのである。

 だから私は、論文を読んで、昂奮して電話を掛けて来た編集者に対して、自分でも驚くほど無愛想な声で応対するほかなかった。君は好適な雑誌の素材を得て、さぞ喜んでいるに違いない。だが私のこの気持が、どれだけ編集部に通じているというのか。何もいいはしなかったけれども、そのとき私は、ほとんど口に出してそういいたいような心境であった。

 もとよりそれは、私が、日本国内外のタブーに触れる論文を書いたという、十二分の自覚を持っていたからにほかならない。それは日米関係の根底に触れ、日本のジャーナリズムの恥部に触れていた。これが公表されることによって、私は国の内外に友人を失うだけではない。執筆の道を絶たれ、教職をも逐われ、生活の方途を奪われるかも知れない。いや、それだけではない。精神に異常を来たしたという烙印を捺されて、社会から葬り去られる可能性すら皆無とはいえなかった。

 しかし、それにもかかわらず、私はやはり論文を『諸君!』に送ることに決めた。“大義親ヲ滅ス”とまで思い詰めたわけではないが、国の基本法の成立事情について知り得たことを、日本の然るべき雑誌に発表して置くのは、筆を以て立つ者の国に対する責務だと思われたからである。その上で、私は識者に問い掛けたかった。だから、私は次のように問うたのである。

<私がここで提起しようとしている問題は、本来ごく単純な問題である。それは、わかりやすくいえば、日本が憲法第九条二項の規定している「交戦権」を放棄したままで、果して平和を維持できるか、という問題にすぎない。

 日本は、少くとも今後二十年のあいだ、世界のどの地域で勃発するどんな戦争にも巻き込まれないで、平和に発展を続けなければならない。そのために、どれほどの叡智と、どれほどの賢さが必要であるかは、ほとんど測り知れないほどである。完全な主権を有する国にとってさえ至難なこの難事業を、主権を制限されている日本が、どうして遂行できるだろうか? 主権制限は、当然外交上の選択肢を制約する。持駒をすべて使いこなし、ありとあらゆる手段を用いても成功できるかどうか覚束ない戦争の回避を、いわば指先を縛られたままの状態に置かれた今日の日本が、どうして首尾よくなしとげることができるだろうか?

 「交戦権」の回復は、もとより戦争への道を歩むことを意味せず、実は核武装すら意味しない。それは主権の回復のみを意味し、日本が強制された憲法上の拘束によってではなく、自らの意思によって選択した基本的政策として、平和維持のあらゆる努力を継続することを意味するにすぎない。つまり、それは日本が通常の自由な主権国家となり、ふたたび自己の運命の主人公になるということを象徴する行為にすぎない>

なぜ第九条の虚構を明らかにしないのか

 私はまた、次のようにも問うた。

<……たとえば保守陣営は、「交戦権」が、もし憲法の解釈と行政上の慣行によって回復可能であると主張するのであれば、そのことを委曲を尽し、納得の行くように、国民の前に明らかにしなければならない。そうでなければ憲法第九条二項の虚構と現実とのあいだの乖離はますますはなはだしくなり、殊に有事に際して、実際に戦わなければならぬ若い国民のあいだの支持を得ることが、いよいよ難しくなるにちがいないからである。

 そして、もし逆に、憲法の解釈と行政上の慣行のみによっては、到底「交戦権」の回復が不可能だというのであれば、保守派はそのことを率直に認め、いつ、どのようにして憲法の改正を行うのか、もし憲法改正を行わないとすればいかなる理由で行わないのかを、やはり充分に委曲を尽し、納得の行くように国民に説明しなければならない。いいかえれば、主権はいつ完全に回復されるのか、主権の制限をなお忍ばなければならないのであれば、それは何故なのかを、つとめて明確にしなければならない。

 同じことは、革新陣営に関しても、そのままに妥当する。革新派が、もし依然として護憲を主張しつづけるのであれば、世界のあらゆる国のなかで、日本だけが「交戦権」に関して主権を制限されていることに、果してどのような利点があるのかを、わかりやすく国民に説明しなければならない。またもし革新派が、外交努力のみによって有事を回避できると主張するのであれば、「交戦権」を否認され、主権の行使に重大な制限を受けている国の外交努力が、そうでない国の外交努力と比較して、より大きなバーゲニング・ポジションを獲得できる所以を証明しなければならない。

 さらに、それにもかかわらず有事に際会した場合、革新派が依然として非武装中立・安保破棄を唱えつづけるつもりなら、中立の侵犯にどう対処し、どのような条件によって降伏し、その帰結として日本がどうなるのかという筋書を、どの国が日本侵攻を行う可能性をより多く有するかという見通しとともに、やはり国民の前に明確に示さなければなるまい。誰に、いつ、どのような条件で降伏するかという問題は、三十五年前に日本の指導者たちが、日夜心血をしぼりつづけた問題であった。もし革新派が本気で自己の主張を信じているのであれば、降伏の相手方と態様と過程ぐらいは、あらかじめ心血をしぼって考え抜いておいてくれなければならない>

 爾来12年、幸いにして私は執筆活動をつづけることができ、教壇を逐われもせずに済んでいるが、それは私の問い掛けに対して、保守・革新両陣営が真剣に応えようとしはじめたためでは全くない。一にかかってこの間に国際情勢が、12年前には予想すらできなかったような激変を示したためである。誰が12年前に、ドイツの再統一とソ連の崩壊を予想し得ただろうか。いや、誰が12年前に、湾岸戦争とその勝者アメリカが、見る影もない凋落を露呈することを察知し得ただろうか。

 セオドア・マクネリー(編集部注*1)が、「日本国憲法――冷戦の落し子」という論文を、アメリカの『政治学雑誌』に発表したのは、今から33年前、昭和34年(1959年)6月のことであった。ソ連の崩壊とアメリカの退潮によって冷戦が既に終息した今日、「冷戦の落し子」に過ぎない日本国憲法、つまりあの米占領軍が起草した一九四六年憲法を、いつまでも便便と維持しなければならない理由がどこにあるか?

戦後日本は嘘と黙契で固めた擬制が支配

 この簡明な問いに対して、保革両陣営も、新聞を中心とするジャーナリズムも、いまだに一度も満足に答えようとはしていない。それは一つには、いつの間にか冷戦維持の制度と化していた戦後日本の政界とマスコミが、依然としてこの時代遅れの役割を果しつづけているからであり、更にはこの制度、あるいは機構が、もともと嘘と黙契で固めた擬制だからにほかならない。

 その嘘とは、

<SCAP(連合国最高司令部)(*2)が憲法を起草したことに対する批判――日本の新憲法起草に当ってSCAPが果した役割についての一切の言及、あるいは憲法起草に当ってSCAPが果した役割に対する一切の批判>

 を禁じた米占領軍民間検閲支隊(CCD)の検閲指針が、あたかも存在しなかったかのように振舞いつづけるという嘘であり、黙契とは、もう一つの検閲指針(*3)が禁じた、

<出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに対する直接間接の言及>

 を、いまだになお避けつづけようという黙契である。

 そのような嘘と黙契がタブーをつくり、平成日本の言語空間を依然として支配しているとは信じがたいと疑う人々には、実例を以て語るほかない。つまり、ごく最近、非公開の席で、ある大新聞の幹部に、なぜ新聞は一九四六年憲法についての事実を、率直に国民に伝えようとしないのかと質したところ、その新聞社幹部は答えたものである。

「新聞は憲法を批判できませんよ。政治家が議論を起してくれて、改憲が日程にのぼればそれは報道しますけれどね」

 かくして新聞は政界の動向をうかがい、政治家はマスコミの鼻息をうかがって、憲法の正体を隠蔽しつづける。しかし、この嘘と黙契の構造が、いま漸く崩れつつあることは、先般の国際平和協力法(PKO法)成立(*4)の過程を見ても明らかといわなければならない。

 冷戦構造崩壊後の世界で、日本が賢明に生存を維持しようとするならば、いかなる憲法典が相当であるか。あるいは日本は、むしろ不文憲法の道をこそ選択すべきではないか。この問題に関する議論を、おそらくわれわれは少くとも両3年のうちに行い、その上であまりにも遅すぎた選択を行わなければならないのである。

(この論文は、ご遺族の了解を得て『日本の論点』〔1992年刊〕より再録させていただいたものです)

【筆者が推薦する基本図書】

●江藤淳『一九四六年憲法――その拘束』(文春学藝ライブラリー、2015年)
●江藤淳『閉ざされた言語空間』(文春文庫、1994年)
●江藤淳編『占領史録』上・下(講談社学術文庫、1995年)

【編集部注】

*1 セオドア・マクネリー

Thedore Mcnelly(1919-2008)。アメリカの政治学者。第2次大戦中、陸軍暗号諜報部に勤務し、敵国語である日本語教育を受ける。戦争終結後は、東京のGHQ民間諜報局に赴任。2年間、「二二六事件」の詳細資料の解読など調査分析官として働いた。帰国後、コロンビア大学大学院で政治学博士号を取得。1967~91年、メリーランド州立政治・行政学部教授を務めた。専門は占領期日本の政治史、とくに日本国憲法制定過程の研究。

*2 SCAP(連合国最高司令部)

SCAP民生局は、1946年2月4日から10日までの1週間、日本国憲法GHQ草案の起草を終え、他の部署にも知らせずマッカーサーにそれを渡していた。

*3 検閲指針

GHQ民間情報局(CIS)では、民間検閲支隊(CCD)が中心となって日本人の思想や世論の動向を探るため、通信、放送、出版、芸能などの検閲、電話の盗聴などに至るまで徹底的な情報収集活動を行っていた。検閲の対象には、占領軍あるいは連合国への批判、極左や極右的な宣伝に当たるもののほか、GHQが憲法制定に積極的関与した事実の開示も含まれていた。マッカーサー草案の作成をはじめとするGHQの日本国憲法制定への関与は、「占領地で、現行法を尊重し恒久法の制定を禁じたハーグ陸戦協定に觝触する」という国内外からの批判を避けるため、内密にしたかったものと推定される。

*4 国際平和協力法(PKO法)

国連平和維持活動(PKO)に自衛隊が参加できる道を開いた法律。1992年成立。2001年、2015年と2度の法改正により、国連平和維持軍(PKF)への参加や「駆けつけ警護」も認められるようになり、武器使用の規制もかなり緩和された。

Profile

えとう・じゅん 1933年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部在学中に、自我を他者との相関関係で検証した『夏目漱石』を発表、世の注目を浴び、文芸評論の道に入る。戦後を代表する文芸評論家であり、社会・政治評論の分野でも活躍した。そのひとつに米軍による占領時代の再検討があり、『一九四六年憲法――その拘束』(1980年)で、現行憲法の成立過程と占領軍の検閲による隠蔽を明らかにして大反響を巻き起こした。東京工業大学教授、慶應大学教授も務めた。『小林秀雄』『成熟と喪失』『漱石とその時代』『自由と禁忌』『海は甦える』など著書多数。99年没。