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憲法改正大論争

【再録・日本の論点】憲法をわれわれの手で選び直さないかぎり、戦後は終わらない 加藤典洋

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 20年にわたる『日本の論点』誌上の憲法論争を精選。おもな争点は「そもそも憲法とは何か」「9条と戦争放棄」「前文のあり方」の3つ。いずれも私たちが憲法観をかたちづくるうえで避けて通ることのできないテーマだ。さてあなたは、どんな議論に同意するか? 実効性を失った憲法を国の最高法規として蘇生させるにはどうすべきか。9条保持の立場から説く、国民投票による「選び直し」憲法論。(2000年執筆、2016年付記あり)

日本国憲法が実効性をもたない理由

 戦後日本の憲法の根本問題とは、憲法が実効性をもっていないことである。そこからさまざまな問題が起こってきて、日本社会はいまにっちもさっちもいかないところまできている。国会に憲法調査会が設置され、今年から本格的な論議が行われているが、私たちにいま憲法を論議する理由があるとすれば、このことをおいてほかにはないはずである。現在の憲法問題の最大の論点は、憲法を国の最高法規として蘇生させるにはどうすればよいか、ということである。

 そもそもなぜこのようなことになったのか。その理由の第一は、憲法が国民の手によって作られたとされながら、その実占領軍の手で作られ、当時の日本政府に「押しつけ」られたからである(編集部注*1)。そのため、当初からたとえば、憲法第9条は米国との軍事的連携とワンセットで存在するという事情が生じることになった。講和後、日米安保条約が結ばれ、米軍が駐留するようになるが、それは理由あることであり、憲法には最初から、実効性を伴わないという致命的弱点が埋め込まれていた。

 理由の第二は、この敗戦の遺産を、歴代の戦後日本の政府と国民が、幕末の遺産である不平等条約を引きついだ明治政府のようには、40年をかけても是正すべき国家目標とはみなさず、これに安住する姿勢を取ってきたことである。その結果、憲法は根幹的に現実に対する法としての拘束力を失い、政治の生きる空間が日本社会から奪われ、半世紀後、現在の悲惨を見るにいたった。

実効性の欠落を証明する第1条の矛盾

 その実効性の欠落という問題が一番露わにあらわれているのが第1条と第9条の問題である。第1条は日本の主権者が国民であることを規定しているが、憲法はいまなお主権者の手によって作られた形になっていない。第9条は日本が国際紛争の解決の手段としては戦争を放棄することと、軍隊をもたないことを明記しているが、日本には実体として軍隊でありつつ法律上は非軍隊である自衛隊という変則的な軍事組織があり、また国内には、米国軍隊が常駐している。

 ではどうすればよいのか。

 第1条と第9条を論点に、憲法第96条(*2)の改正規定による国民投票を行い、国民に信を問うことが一つの方法となる。しかし、この国民投票の主眼は、憲法を実効性あるものに蘇生させ、国民が法の感覚(法とは自分たちで作り、自分たちで守り、その理念を信奉するものだという感覚)を、回復することにある。内容、つまり条項の改正ではなく、容れ物、つまり憲法自体が国民の手で「選び直され」国民のものとなることが、第1条の矛盾の解決となるのである。

9条論議は実行可能性に縛られてはならない

 憲法を論議する際には、次のことが留意されなければならない。まずここで行われる憲法の吟味は、明治政府にとって関税自主権の獲得と治外法権の撤廃がそうであったような、国家目標をそこから導きだすていの根柢的論議でなければならない。これまでのやり方とまったく違う、それがすぐに実行可能かどうかという短期的な視野での暗黙の了解を取り去った、長期的な展望に立つ、理念を理念として論じるものでなければならないということだ。したがって、現在憲法調査会で行われている、たとえば第9条の平和条項を維持するが集団的自衛権(*3)は認める、といったていの弥縫(びほう)的対案では、この要請にとうてい答えることはできない。

 第9条をどう考えるべきか。上のような認識に立てば、現行憲法を変えなくても、変えても、いずれの場合もその時から日本国が実行のきわめて難しい問題に当面しなければならないことは明らかである。憲法を変えず、第9条の保持強化を決めるならすぐに、自衛隊をどうするか、駐留米軍を含む米国との関係をどうするか、国連との協力関係をどうするかという問題が出てくる。しかし憲法を変え、第9条の理念を廃棄し、自衛隊を正式に軍隊と認めることにすれば、これまでの平和主義との関係をどうするか、軍隊創設の問題をどうするか、新たにそこから生じる近隣諸国とりわけ米国、国連との信頼関係維持の方策をどうするかということが、同じく問題にならざるをえないからである。したがって、実行可能性という観点はここでさしたる有意性をもたない。むしろ第9条問題を論議するうえでの要諦は、これを実行可能性に縛られての議論とせず、理念として大本でこれを維持するか捨てるかを決める、徹底的な検討とすることである。以下、わたしの考えに沿う形で思考実験を試みよう。

平和的かつ現実的な「9条の保持」とは

 わたしの考えは、第9条は「保持する」、である。その場合、紛争解決の手段としての戦争を否定し、平和的な手段による紛争解決の方途を研究・準備し、それを実行するための機関・組織を整備し、それらの事業のため率先して働きかけを行うことが、その「保持」の内容をなす。補足するならこの第9条の規定は日本の自衛権を放棄していない。もしそれが現在の条文で不明確なら、自衛権はもつことを明記するのがよい。第9条は近代国家の限界を越えた理想を先取りした理念条項ではなく、平和的手段によってどこまでも国際紛争を解決することをめざす、そしてそのことによって辛抱強く国際社会に寄与していく、現実的な条項であることをはっきりさせることが肝腎だ。自衛権はもつ。しかし国際紛争解決の手段としての戦争を放棄するから、軍隊組織としての自衛隊は平和部隊に改組する。また同じ理由から、どのような形でも集団的自衛権はもたない。その代わり、新しい平和的手段による国際的寄与を国連の枠内で率先実行する、以上がわたしの第9条保持の主張の内容である。

 さて、この第9条保持の選択は廃棄の選択の場合と同様、上の趣旨に沿った条項の改正を必要とするから、次には国民投票がくる。しかし第96条の改正規定に従い、国民投票を行うのは、ここにおいても、条項の改正が主眼ではない。憲法の根幹をめぐる改正は、当然そこから派生する実行困難な課題への取組みを政府に要請する。その力を政府はどこから汲み出すか。その淵源は憲法にしかない。この国民投票は主権者国民による初の憲法の「選び直し」であることを通じ、憲法に国の最高法規としての力をよみがえらせる。その憲法の力が、改正の提起者たる政府に憲法の規定する課題を実行する戦後最大規模の権威と権能を賦与するのだ。したがって、この国民投票は、憲法を日本人の手に奪還するという保守派のいう近視眼的なナショナリズムに目的があるのではなく、これを主権者国民=民衆の手に取り戻すことを通じ、実効性ある最高法規へと蘇生させ、ひいては戦後日本の国家目標ともいうべき平和理念を実現することを、目的としているのである。

優先させるべきは憲法を蘇生させること

 むろん、この決定によってすぐに問題が解決されるわけではない。その場合の実行困難な課題とは、どのようにして国連との協力関係を集団的自衛権とは別の形で再構築していくか、また日米の友好協力関係を、慎重にまた辛抱強く段階を踏んで非軍事的同盟関係に向け改編していくか、さらに自衛隊を平和部隊に改編し、自衛の問題をどう考えるか、という一連の問題群である。しかしこれには当然、明治政府が不平等条約を是正するのに約40年をかけたことが、一つの範例となってくるだろう。それはそれくらい時間のかかる事業である。しかし、戦後の日本が国家目標を掲げ、数代をへてこれを実現するとは、こういうことをさしているのである。

 戦後憲法の理念と趣旨は、その憲法における「法としての力の回復」なしにはこの先一歩も進まないところまできている。それをさらに進めるために「憲法を蘇生させる国民投票」が必要だというのがわたしの観点である。この観点は「憲法第9条が何より大事」というのではない。何より大事なのは「憲法」であり、国民=民衆のイニシアティブだ。国民投票の結果、憲法の平和条項が廃棄されるとしても、憲法が憲法としてよみがえるなら、そちらのほうをまず、取らなければならないと、わたしは考えている。

(この論文は、ご本人の了解を得て『日本の論点2001』より再録させていただいたものです)

【筆者による付記】

 15年になるが、なかなかよいことをいっている。近著『戦後入門』では、憲法制定権力の回復のために、9条を改訂し、米軍基地を撤去すると述べているが、これは安倍政権の暴走を受けてのもの。全体の趣旨は変わっていない。(2016年3月)

【筆者が推薦する基本図書】

●ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』(中公クラシックス、2005年)
●樋口陽一『憲法入門(5訂版)』(勁草書房、2013年)
●加藤典洋『戦後的思考』(講談社、1999年)

【編集部注】

*1 押し付け

 外務省外交文書「近衛国務相、マッカーサー元帥会談録」には、1945年10月4日、東久迩内閣の無任所大臣・近衛秀麿が、マッカーサー元帥と会談した際、「憲法ハ改正ヲ要スル、改正シテ自由主義的要素ヲ十分取入レナケレバナラナイ」と指示されたという記録がある。

 これを受けて日本側は、次の幣原内閣が憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)を組織して、改正憲法案を作成し、翌年2月8日、GHQに提出する。しかしGHQのホイットニー民政局長は、2月13日、「マズ、ウイトニ(ホイットニー)ヨリ口ヲ開キ日本案ハ全然受諾シ難キニ付自分ノ方ニテ草案ヲ作成セリトテ持参ノ草案ヲ提示ス』(外務省外交文書)と、GHQ作成の憲法草案を日本側に手渡す。この民政局草案は、マッカーサー元帥の指示(マッカーサー・ノート)に基づき、ケーディス大佐らが作成したものだった。現行憲法が、この民政局草案をもとに作成されたことは、まぎれもない事実である。

*2 第96条

 憲法第96条は、憲法が簡単に改正できないように、次のような改正手続きを定めている。

<この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする?>

*3 集団的自衛権

 一国では敵の攻撃を防げないことを想定し、他国と同盟条約を結んで国を守る権利。同盟国が敵の攻撃を受けた場合は、当然のことながら支援することが前提となる。1972年10月、政府(第一次田中内閣)は参院決算委員会で「国際法上は集団的自衛権を有するが、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえる」とする政府見解資料を提出した。これが長い間、政府の統一解釈とされてきたが、2014年7月、第二次安倍晋三内閣の閣議決定で政府解釈の変更が行われ、(1)同盟国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある、(2)他に適当な手段がない、(3)必要最小限度の実力行使、という3条件を満たせば限定的な集団的自衛権の行使を認めることになった。2015年9月に成立した武力攻撃事態法改正にはこれが反映されている。

Profile

かとう・のりひろ 1948年山形県生まれ。東京大学文学部卒。国立国会図書館在職中の78年より、カナダ・モントリオール大学に3年半派遣されたのを転機に評論活動に入る。明治学院大学国際学部教授を経て、2005年より14年まで早稲田大学国際教養学部教授を務め、現在は同大学名誉教授。戦後日本人は歴史を形成する主体を持てなかったと指摘する97年の『敗戦後論』は、論壇に静かな論争をまき起こした。他に『アメリカの影』『言語表現法講義』『戦後的思考』『可能性としての戦後以後』『日本の無思想』『戦後入門』など多数の著書がある。